なぜ私はツキアカリなのか
何かで「教師は太陽であれ」という言葉を聞いたことがある。
調べてみたら、TOSSで有名な長谷川博之さんらしい。
「黄金の3日間」の具体的なことが知りたくて著書を読んだので知った。
(この本は大変参考になった)
太陽のようにあたたかく生徒を照らす存在であれ、ということらしい。
これは正論である。
これと対比して、「教師は月であれ」という言葉もあったはずである。
残念ながら、出典を失念してしまった。
月のように落ち着いて安心感を与える存在であれ、ということだと思う。
これもまた正論である。
もともと内気だった私は、そもそも太陽になんてなれないと思っていた。
それに、周囲を照らすほどにキラキラした人生も歩んでいない。
「ひっそりと咲く月見草」と故・野村克也さんは語ったが
まさにそんな生き方をしてきた。
そう、月だ。
私にはカリスマ性など持ち合わせていない。
だが、安心感を与えることはできる。
これは自覚していないのだが、周囲の多くがそう言うのだから間違いないだろう。
それに、私は教師−生徒の関係では生徒が主人公だと思っている。
この考えは決して揺らぐことはないだろう。
先頭に立ってみんなを引っ張る存在でなくてもよい。
むしろ、最後方からみんなを見守る存在でも良いのではないか。
太陽の光を受けて行き先を照らす月のように。
今日も、誰かを照らす月明かりとなる。