ツキアカリテラス

tsuki-akr terrace

読解に向き合わせるために試行錯誤中

肌感覚なのだけど、ここ数年で、大学入試の問題のつくりがかなり変わった気がする。特に直近のセンター試験、そして共通テストにおいては、全科目的に「読むこと」に重きが置かれている気がする。

 

例えば、2016年のセンター試験(化学)では、ミョウバンの純度を計算する問題が出題された。含まれているミョウバンは12水和物の形をとっているのだが、ミョウバン無水物の式量が問題文で与えられていて、これをそのまま用いたらアウトである。12水和物なのだから、その分を考慮して式量を求めなければならない。しかも、それを求めるための原子量は冒頭にしかないので余計に見落としやすい。恥ずかしながら、この年のセンター試験を翌日に解いたときに、私もそれを見落としてしまい、満点を逃すという苦い経験をしたことがある。示されているものに誘われず、問題文の内容を正しく把握しなければならないわけだ。

 

ところが、それとは逆に、実際に受験する側の方はというと、かえって昔よりも問題文を読む力が不足しているように見受けられる(だからこそ、こういう問題が増えているのかもしれないが)。それも、しっかりと読んだ上で設定を見落としていましたというようなレベルだけではなく、完全に読めておらず、そのまま独自の解釈で解答作成に突っ込むケースをよく見るのだ。

 

こういう生徒は、口頭で問うたときの反応や、普通の会話でもそういうふしがある。単語だけ、主語がない文(文とは言えない、、?)を多用するのはもちろん、こちらが話すことを遮って「あーそうそう」とわかった“つもり”になって自分の意見を話すといったケースも少なくない。もはや読解という作業を放棄しているかのように見受けられる。そして、だからこそ、連絡や指示もなかなか通らず、こちらが頭を抱えるはめになることもしばしばある。

 

もちろん、こういうときに発信者、教え導く人間に非があるとまず考えるべきだと思うので、今のところこういうことを強く意識して実践するようにしている。

 

  • 口頭だけでなく書いて視覚情報でも提示する
  • 大事なことは3度は言う、話すトーンも変える
  • ややこしいことは必ず例示する
  • 問題解説で自分の思考回路を丁寧に再現する
  • 問題解説で、解法の手がかりとなる部分を必ず問題文から探させる

 

どれも教えることにおいては当たり前のことじゃないかと思うし、私自身もこれまでやってきたことである。しかし、意識の置き方がこれまでの2〜3倍増しになっている自覚がある。授業準備でもこのあたりは今まで以上に緻密に拾い上げている。こうやって様々な手段を講じるのであるが、まだまだ焼け石に水であるような気がするのが現状である、、いや、今は効果が現れていないだけで、雨だれ石を穿つ、ということになると思って気長に待てばいいのだろうか、、、