ツキアカリテラス

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懐きのいい生徒の向こう側へ

ある程度授業回数をこなすと、生徒の懐き具合に差が出始める。毎日のように質問してくるような生徒もいれば、いままでも、そしてこれからも、口を聞くことはほとんどないような生徒もいる。

 

我々は承認欲求をもった生き物だから、懐かれるとどうしても可愛がってしまうところはあるし、こういう仕事を選ぶのは世話焼きな性格の人間が多いと思う。だから、毎回のように質問をされると、ああ、この子は頑張っているなあという情が出てくるし、そういう生徒の質問は、問いの質もなかなかに高いことが多いから、教える人間自身も勉強になる。それゆえ、その生徒をますます可愛がってしまう。ましてや、初めはくだらない質問ばっかりだったのが、質問を重ねて鋭い質問をするまでに成長を見せたのであれば、寵愛するレベルではないだろうか。

 

しかし、その生徒の向こう側にはどんな生徒がいるだろうか。もしかしたら質問をしたくても恥ずかしくて質問できない、そうでなくても、いつも同じ生徒にとられていて質問する気を失ってしまう、といった生徒が少なからずいるかもしれない。それこそ、成績が不振すぎて、即対応が必要な生徒がいるかもしれない。もちろん、今質問している生徒をないがしろにしろ、というのではない。クラスの生徒は等しく愛さなければならないと思っている。懐きのいい生徒の向こう側にいる生徒のことは気にしておかないといけないし(特に困っているのなら)、そちらへの目配せを怠ってはいけない。それでも、他の生徒の質問に時間を取られてしまうのであれば、時間を改めて、電話をかけるのでも良いではないか。そういう時間を工面しないのは、さすがに職務の怠慢であると思う。

 

また、質問の多い生徒自身も、長い目で見れば不安材料を抱えていると思う。わからないことがあったら質問をする、このスタンスは問題ない。むしろこういうスタンスでいる生徒は思っているほど多くないので、歓迎すべきだと思う。しかし、何かわからないことがあったら、条件反射的に「せんせせんせーー!」というのは良くないと思う。自分の中で落とし込むことをしていない、つまり思考停止に陥っているからだ。そういう生徒になってはいないだろうか、あるいは、教える人自身が、生徒をそういうふうに教育してはいないだろうか。

 

質問受けはGoogle検索の類ではない。最終的に、それを知ること、あるいは思考過程を自力でするよう、質問受けを通して促さないといけない。そこは叱るとまではいかなくとも(そもそも叱る理由はない)、「ちょっと自分で考えてみなよ」と言ってあげた方がいいと思う。

 

反応のいい生徒はどうしても目立ってしまう。そして我々教える人間は、それに心を奪われがちである。でも、本当は反応の良し悪しに関係なく、すべての生徒に心を奪われなければならない。