ツキアカリテラス

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私が博士号を取得するまで(3)

かくして、人生で二度目の就職活動を始めることになった。以前は研究職しか目になかったのだが、いったん白紙にして、ゼロベースで果たして自分が社会貢献として何をしたいのか、何が合っているのかを考え直した。

 

このときは「絶対内定」という本を参考にした。この本はかなりボリュームがあり、自己分析などにおいてもかなりの負担を求められるが、自分の価値観が明確でない場合はオススメだ。もちろん、推薦入試など、一般的に志望理由が求められるものであれば通用すると思う。私も推薦入試の志望理由書を添削する機会があるのだが、そのときもこの本で学んだことがかなり参考になっている。

https://www.amazon.co.jp/dp/4478110581

 

合同説明会でいろんな職種を見た。合同説明会の意義については賛否あると思うのだが、これも自分のやりたいことが明確でない場合は是非参加することをすすめる。本当は中小企業についても自分で調べてアタックした方がいいのだが。その際に「自分はこういう大学生活を送ってきたからこういうことをやるべきだ」という先入観を徹底的に排除することが大切だと思う。自己分析を通して、思わぬ価値観を知る可能性だってある。私も生命保険や銀行なども見た。結局合わないと思って切ったけれど。それで、業界はコンサルと教育に絞り込んだのだが、どうもコンサルも社風的に合わないところが多々あって(全部が全部そうではないのだが)、あとはやはり自分は教えることが好きだということに気づき、教育業界一本に絞り込んだ。私は教授という仕事に憧れてはいたのだが、それは研究のスペシャリストになりたいというよりは、誰かに物事を教えて育てたい、という動機の方が強かったのだ。

 

さて、就職活動であるが、1度目は最初の選考で早々に切られることが多かったのだが、今回はかなり選考を先に進めることができた。

 

よく言われるのが面接はデートみたいなもの、意中の人に想いを打ち明けるものということだが、これはかなり的を射ていると思う。面接となると、どうしても萎縮しがちになり、落とされる試験みたいなもので捉えられるのだが、一言でいえばマッチングなのだ。お互いがお互いを受け入れられるかを確認する機会なのである。だから自分の価値観とかは思いっきりさらけ出した方がいい。飾った自分で内定が取れたとしても、おそらく入社後にギャップに苦しむことになるだろう。私がこういうことを意識することができたのは、博士課程のうちにビジネス本を読み漁ることがあり、その中でコミュニケーション関係について知識を得ることができたこと、また、試薬や備品の業者さんと見積もりなどで話す機会が頻繁にあり、度胸が確実に修士課程の頃よりもあったからだと思う。

 

しかし実際には大変だった。当時はリーマンショック後で、1度目の就職活動とは真逆に厳しい状況だった。それに、教育業界は学部卒を採用する傾向が強い(実際志望者でも院卒はあまりいない)。最終面接1つ前とか、最終面接で落ちてしまうことが何度もあった。それでも何とか内定をいただくことができた。いわゆる最後の「持ち駒」での内定だった。

 

とりあえず来年以降の見通しは立った。しかし本当に苦しいのはここからだった。

 

今回は就職活動のアドバイスみたいな話に終始しました(笑)続く。

私が博士号を取得するまで(2)

結局博士課程に進学したのだが、研究を何となくやりたいなと思ってはいたものの、強烈な動機付けがあるわけではなかった。それに、自分自身の研究テーマも、お世辞には言えないほど順風満帆ではなかった。むしろ茨の道だった。

 

博士課程ではこういった研究成果の産みの苦しみも大きいのだが、何より大きいのが人間関係の希薄化である。ほとんどの同級生は修士課程を修了すると就職するため、同世代の仲間が急にいなくなる。私の代は比較的博士課程に進学する人が多かったのだが、当然別のラボであるからほとんど会うことはない。それに私自身、今もそうだけど、そんな仲間とワイワイやるということを積極的にやる人間ではなかったし、、、

 

所属するラボでも、修士課程までであれば後輩とは割と兄弟姉妹のような関係でいられるのだが、博士課程だとそうはいかない。私がラボに入ったときにも博士課程の人はいたものの、やはり雲の上の人というか、ちょっと近寄りがたいな、という感覚はあった。後輩が敬遠するという、これまでにない状況に直面するのである。

 

、、、とまあ、なかなかに過酷な環境ではあるが、それでもうまく人付き合いをこなしたり、順調に成果を出す博士課程の学生もいる。たまたま私がそうだっただけのことなのだろう。

 

結局、研究テーマを少し変えるなどして、少しずつではあるが好転してきた気配はある。それでもなかなか研究成果も出ず、私自身もそこまで研究に没頭するような学生ではなかった。正直、研究というものをどこかで舐めていたところはある。そういうわけで、規定を満たすことができず、博士課程は留年することに。おまけに就職活動をしたら、というボスの勧めもあり、二度目の就職活動をすることになる。本来、就職活動を促されるというのは、将来のポスドクになりうる人間にとっては、ある意味で戦力外通告に等しい。もはや万事休す、といった感じではあるが、私自身もこの先アカデミアに残ってやっていけるかという自信もなく、そもそも研究に対する熱量も低下していたので、気持ちを切り替えて就職活動をすることになる。ああ、私は研究が好きだというよりは実験が好きなのだなあ、と改めて振り返る。もっと早く気付けば良かったのだが、、

 

続く。

私が博士号を取得するまで(1)

ふと、タイトルの件で書いてみたくなった。長編になるので小分けにして書きたい。

 

とりあえず、修士課程まではすっとばしたいと思う(笑)全員が全員そうではないが、大体の場合、理系であればよほど社会に出てやりたいことが見つからない限りはここまではストレートに進むと思うので。当時は人付き合いはそこそこにあったものの、大抵は希薄な関係であり、自分自身がまさに「陰キャ」だったこともあり(今が陽キャだとは言っていない)、そこまで人間関係が広がることはなかった。今思えば本当に惜しいことをしたと思う。とりあえず、風に流されるまま飛んでいくようにして、学部での生活は終わった。繰り返しになるけれど、本当に勿体無い4年間を送ったな、、、

 

それで、修士課程に進学して、これもまた右に倣えみたいな感じで就職活動をする。当時の私は、随分と舐めたものだと思うが、就職は受験や資格試験の延長線上だと思っていて、割と楽観的に考えていた。当時はたしか団塊の世代が一気に退職するタイミングということもあり、売り手市場だったこともあるのだろう。もちろん就職に関する本は何冊か読んで、対策を立てた上で就職活動をしたのだが、よくよく考えたら自分のやりたいことが、この時点でも確固たるものがなく、エントリーシートも薄っぺらいものだったと思う。面接官にしてみれば「お前何でここにきた」と思われてもおかしくなかっただろう。強いてやりたいものは何かといえば研究なのだが、それは本来であれば大学に残ってもできることだ。わざわざ企業に勤めてやるべきことではない。

 

結局、面接も含めると全て不採用の結果。エントリーシートの時点で祈られることも少なくなかった。最初は大きな企業だから競争率が、と思っていたが、やはり自分の価値観が固まっていないのが一番の原因だと今になって思う。それでも少しは成長したのか、自分はまだ研究をじっくりやりたいと思うようになり、これは企業の研究職とは少し違う、大学に残ってやったほうがいい、と判断。たしか修士1回の2月くらいだったと思う。それで博士課程への進学を決意した。

 

ただ、今思えば、おそらく就職活動に嫌気がさして逃げたかったのだろうなと思う。あるいはまだ社会に出たくない、モラトリアム人間でいたいと思っていたのかもしれない。それが本心だったと思う。そしてその甘い考えが、後々になって地獄を見ることになるのである、、、

 

続く。

集団指導は個別指導のように

集団指導を主に担当していると、どうしても全員への伝達を重視してしまいがちなのだが、集団指導こそ個別の対応が大切になってくると思う。

 

学力面で考えた場合、この授業がどハマりする生徒もいれば、それについていくのにしんどい生徒もいるし、簡単すぎて退屈する生徒もいる。後者2つについては理由は違えど、授業に対するモチベーションの低下になるので、なんとかケアしてあげなければならない。ここで両方に対してケアすることが大切だと思う。声かけをしたり、必要であれば課題を出したり、だ。集団指導をしながら、個別指導をオンするような感じだ。

 

そして大抵の場合、どちらか一方は気にするものだが、他方に関しては手が回らなかったり、そもそも意識が薄れていたりする場合が多い気がする。自分も意識して気をつけないといけないと思っている。恥ずかしながら私も「生徒が求めてきたら反応する」みたいな対応をしがちだったのだが、生徒が口を開けて待っているなんて保証はない。その前に生徒から縁を切られる、なんてことは珍しくないし、実際にそうされてきたのだろうと思う。

 

そして学力だけでなく、もっとシンプルというか、大きな視点でも大事なことがある。それが「居心地の良さ」だ。集団の一個人としてみられるよりは、ただの一個人としてみられる方が、その人にとって居心地のよい空間になることは言うまでもないと思う。

 

今年は私は、毎回の授業のポイントを全員に授業後に共有するようにしていた。もちろん、それをありがたがっている生徒もいるにはいたのだが、生徒のレスポンスから判断するに、それがトータルに見て有効に働いていたかどうかは疑問が残った。そこでつい最近、ちょうど何人かに伝えたいことがあったので、それを一斉共有の形ではなく、個別に伝えるようにしてみたところ、早速反応があったし、ちょうどそこに居合わせた講師からも、本人が感謝していたと伝えられた。この仮説はまだ検証段階ではあるが、少しこれまでとはやり方を変えてみようと思う。

 

集団指導は個別指導のように。これを肝に命じていきたい。

絶えず自分をアップデートせよ

夏期講習中で多忙なのでなかなか更新できず申し訳ない。久々の投稿である。

 

こういう忙しい状況(特に今年は例年よりもコマの関係でバタバタしている)なので、オリンピックもほぼリアルタイムで観ずに終わり、結果を、毎朝チェックするニュースで知るくらいだった。時差がある方が我々にとってはむしろ視聴しやすいのかもしれない。

 

で、話題になったのが開会式と閉会式。色々思うところはあるのだが、私がどうこう言うよりは言語化に長けた方の物言いを見てもらった方が良いと思う。ほぼ言いたいことを言われてしまっている笑

 

gendai.ismedia.jp

 

ここでは閉会式のことしか書かれていないが、開会式も同じである。寸前の辞任の引き金になったのは「今となってはそぐわない行い」に関することだと思っている。SDGsなど、グローバルに見れば価値観の大きなアップデートが起こっている。当然、それが上にリンクした記事にある「男性優位社会、昭和的な何か」の終焉にもつながってくる。もう「昔は良かった」というのは通用しないわけだ。

 

そして、これを他人事ではなく自分事にしないといけない、とも思う。私もいい歳になったのだが、やはり自分の青春時代におけるエンタメには特別な思いを抱いてしまう。音楽で言えばV系だったり小室ファミリーだったり、芸能で言えばダウンタウンとんねるずだったり。やっぱりそれらは自分の一部を形作ったと言っても言い過ぎではないし、今でも輝きは失われてはいないと思う。

 

しかし、昔だったら受け入れられていたのかもしれないけれど、それも今となっては到底受け入れられないこともある。特にバラエティ関連ではそういうところが多々ある。人の頭を叩くだの蹴るだの、相手に何かしらの被害を加えることで笑いをとる時代は終わった。たとえそれがヤラセであっても、こういう笑いの取り方があると発信している以上、同じことだ。今はそういう時代になっているのだと自覚しなければならない。

 

それに、自分の青春時代が至高だと思って、現代のエンタメを否定するのも見苦しいと思う。それこそ、我々が青春時代真っ只中のときに、上の世代から同様にされて不満を抱いていたことではないか。過去にすがりつくことは、現代、そして未来を生きていく上で、あまりにもそぐわないことだと思う。

 

思い出は大事だから、全否定しろとまでは言わないが、それは当時の思い出としてどこか奥にしまっておいて、外に出て良いものを探そう。自分自身をアップデートをしなければならないし、これから先も絶えずアップデートをし続けなければならないのだ。

家庭教師でバイトをしていて学力を向上させられていないと悔やんだこと

大学生になって、バイトをしていた。今思えばホールスタッフとかコンビニとか、接客のバイトをもっとすればよかったなあと思うのだが、結局家庭教師のバイトしかやっていなかった。

 

当時は集団授業を受けず、なぜ家庭教師なのかとか、そういった細かい事情を全く知らずにやっていた。本人が勉強を進めていって、質問があったり詰まったりしたら解説する、みたいなノリだった。

 

しかし、本人がその内容をできていない、というのは表面的にはそうなのだが、もっと根深い問題が潜んでいることもある。例えば化学反応式を書けない場合、そもそも化学式をちゃんと覚えていなかったり、化学反応式を用いた計算ができない場合、そもそも比例計算がちゃんとできていなかったり、だ。

 

だから、生徒の学力向上を考える場合、該当の単元をしっかりマスターさせる、ではなく、遡って復習させる、そのあたりが理解不十分であれば徹底的に訓練させる、といったことが必要になることもある。そして、それは例えば演習をさせて、その結果を見るだけではなかなか難しい。実際に問題を解いている様子を見るのが一番だと思う。

 

今でこそ、そういうことは生徒の様子を見ていれば割とアドバイスできるが、当時は多分そこまで意識を向けることはなかったように思われる。今思えば悪いことをしたなと思う。

【大学入試】無機化学の反応式(硫化水素の製法)

生徒:先生!今度は硫化水素の実験室的製法、硫化鉄(Ⅱ)と塩化水素の反応が分かりません!これこそ丸暗記するしかないでしょう!

 

先生:いやいや何をいっているんだい。なんでもかんでも暗記をするんじゃなくて、暗記を減らす努力をする、そういうスタンスが大事じゃないか。思考から逃げてばかりでは成長できないよ。

 

生徒:!?!?、、、ということは、これも考えて書くことができるのですか?

 

先生:そうだ。さて、あなたは中和反応は覚えているかい?

 

生徒:もちろんですよ。水素イオンのやりとりですよね。

 

先生:では、酢酸ナトリウムと塩化水素の反応式を書けるかい?

 

生徒:簡単ですよ。CH3COONa + HCl → CH3COOH + NaClですよね。

 

先生:じゃあなんでその反応が起こるか説明できるかい?

 

生徒:え、、、そんなの、起こるから起こるに決まっているじゃないですか。ほら、こう、それぞれのイオンが交換するわけで、、、

 

先生:苦しい説明だね(笑)よし、ここから復習だ。酢酸は強酸、弱酸のどちらだ?

 

生徒:はい、弱酸です。

 

先生:弱酸ということは電離度は?

 

生徒:それはもちろん小さいですよね。

 

先生:ではこう考えてみようか。酢酸の電離度は非常に小さい。つまり次の反応が可逆反応ということだ。

 

CH3COOH ⇄ CH3COO^- + H^+

 

可逆反応ということは逆反応が無視できないくらい起こるということになる。ではそれを踏まえると、酢酸イオンはどのようなはたらきをしていると言えるかな?

 

生徒:えっと、、、逆反応が起こるのだから、水素イオンを受け取る、、?

 

先生:ということは?

 

生徒:え?

 

先生:水素イオンを受け取る物質をなんていうんだっけ?

 

生徒:あ、そうか、塩基ですね。

 

先生:そうだ。つまり、弱酸由来の陰イオンは水素イオンを受け取りやすいんだ。言い換えれば弱酸の共役塩基は強いということだ。

 

生徒:そうか、だからさっきの反応は酢酸イオンが塩基としてはたらいて、塩化水素から出た水素イオンを受け取るのですね。

 

先生:そう、そしてこれを弱酸の遊離というんだ。では本題に戻ろう。硫化水素は強酸、弱酸のどっちだ?

 

生徒:ふっふっふ、これは頑張って覚えましたよ。弱酸ですよね。H2S ⇄ 2H^+ + S^(2-)が起こるんですよ。

 

先生:じゃあもう分かるんじゃないのか?

 

生徒:えっ??

 

先生:硫化鉄(Ⅱ)FeSに注目しよう。こいつは硫化水素が電離してできた、硫化物イオンを持っているんだね?

 

生徒:あ、そうか!これは酢酸イオンと同じで、水素イオンを受け取れるんだ!

 

先生:そうだよ!硫化物イオンが塩化水素から水素イオンを受け取って硫化水素になる、と考えれば、次の反応式は暗記なしで書けるだろう。

 

FeS + 2HCl → H2S + FeCl2

 

生徒:すごいですね!これも自分で考えて書くことができる!

 

先生:無機化学の反応は酸化還元反応も多いのだけど、中和反応もたくさんあるんだよ。もちろん水素イオンと水酸化物イオンから水ができる反応もあるけれど、こういった弱酸の遊離もけっこうあるから、中和反応の良い復習になると思うよ。

 

生徒:おまけにそれが理解できれば、無機化学の反応をまた丸暗記せずに済むんですね。少し無機化学が面白くなってきました!