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【問題を解説してみた】高校物理:2物体の力のつりあい【定期テスト対策】

今や問題解説はYoutubeなどの動画が主流なのだが、あえて時代に逆行してテキストベースでの問題解説をやってみようと思う。負担の度合いや反応が全く見当がつかず、不定期になる気しかしないのだが、やれる限りやってみよう。もしリクエストがあればコメントをいただけると幸いである。高校物理と高校化学はなんとかなるはずだ。ただ物理は教えているキャリアが比較的浅いので、一部対応できないものもあるかもしれない。その点はご容赦いただきたい。

 

今回のお題は高校物理「2物体の力のつりあい」である。例題はこちらだ。

床に静置している質量Mの物体Aの上に、質量mの物体Bが静置している。物体の水平面と床は平行であるものとして、床から受ける物体Aの垂直抗力N_A、物体Aから受ける物体Bの垂直抗力N_B、そして物体Bが物体Aを押す力N'_Bを求めよ。重力加速度はgとする。

図は以下の通りだ。

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さて、ここで絶対にやっていけないことというか、初心者はやってはいけないことがある。それは何かと言うと「物体Aと物体Bをひとまとめにする」ということだ。もちろん、こうすることで簡単に解ける問題もあるが、物体にはたらく力を考えるときの鉄則は「物体ごとに考える」である。大事なことなのでもう一度書く。「物体にはたらく力は、物体ごとに考える」のだ。少なくとも今回はそうしないとN'_Bが求まらない。

 

では、AとBについてそれぞれ力を考えていこう。力には2種類あることは大丈夫だろうか。そう、「触らずにはたらく力」と「触ってはたらく力」である。前者の例は重力や静電気力である。

 

そして大事なのは後者である。「物体は接触しているものから必ず力をうける」のだ。よく力を考えるときに、書き漏らしがある場合、この点について意識できていないケースが多い。図を描いて、何と触っているかをしっかりと見ることが大切だ。

 

では、これらを踏まえて力を考えてみよう。まず触らずにはたらく力。これは重力だけだ。

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では次に、触ってはたらく力だ。まずBが触っているのは物体Aである。だから、BはAから垂直抗力N_Bを受ける。ここでまた絶対にやっていけないことがある。「いきなり垂直抗力を重力に等しいとしてmgと書くこと」だ。これをやったらもう罰ゲーム、というレベルでやってはいけない。今回は確かに数値上はそれで構わない。しかし、もしBの上から何か押す力がはたらいていた場合、Bにおける力のつりあいを考えると、垂直抗力はmgと等しくなくなる。垂直抗力=重力は一般的に成り立たないのだ。「垂直抗力はとりあえず文字で置いて求めるのは後回し」と理解しておこう。今回はとりあえず問題で与えられている通りN_Bとしておく。

 

一方、Aは何と触っているだろうか。これは床とBだ。だから、床から垂直抗力N_Aを受け、Bから押される力N'_Bを受ける。こうして次の図が書ける(物体ごとに分けて書けばよかった、、)

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あとは各物体について、力のつりあいの式を立てればよい。しかし、未知数が3つで式が2つであるから、あと1つ式が必要である。ここで、作用・反作用の関係にある力があるのに気づいただろうか。ここもよく間違えてしまうのだが、決して「Bの重力とBの垂直抗力」ではない。見た目それっぽいが、惑わされてはいけない。

 

作用・反作用の関係にある力を考えるときにはコツがある。それは「受動態」の考え方である。たとえば、SがOにおよぼす力がはたらいたとしよう。このとき、OがSにおよぼす力がはたらく。この力の大きさは等しく、向きは互いに逆向きである。これが作用・反作用の関係にある力である。

 

おわかりいただけただろうか。つまり、作用・反作用の関係にある力を見つけるには、主語と目的語を逆転した力を考えればよいのである。

 

では、今回そのような関係にある力はどれだろうか?そう、N_BとN'_Bである。前者が「BがAを押す力」であり、後者が「AがBを押す力」である。ちなみにBにはたらく重力について、作用・反作用の関係にある力は何かというと、地球上であれば「Bが地球に及ぼす力」である。つまり、Bと地球との間にはたらく万有引力ということになる。

 

ということで、ご覧の通りである。あとは頑張って連立方程式として解くのみである。

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単純な問題だが、物理で最も大切な基礎が詰まっている。こういう問題こそ、丁寧に考えていくことが大切だ。

 

私教育における「商品」と「顧客」

私教育においては、授業やそれを展開する講師はサービスであり、かつ商品である。

 

この考え方には賛否両論ある気がする。たしかに人間をモノ扱いすることは私もいただけないと思う。しかし顧客目線で考えたら、それ以外の形容のしかたはあり得ないと思うから、我々がどんなに嫌がっても仕方がないと思う。

 

そういえば、この「顧客」という表現も嫌がる人は嫌がる。それはそれで否定しないし、実際、私もあまり使いたくない。就活でこういう表現を聞いたとき、嫌悪感を持ったし、今でも生徒や保護者に向かって「お客様」呼ばわりすることは絶対にしないし、来客の際も「いらっしゃいませ」とは絶対に言わない。

 

しかし、世間一般的に見て我々はサービス業に携わる人間であり、サービスそのものでもある。そして、生徒や保護者はそのサービスを享受する人間である。ではそれぞれをどう表現する?と言われたら、「商品」「顧客」以外に適切な表現は見当たらないのではないか。どうもこういう言い回しについて、私だけなのかもしれないが、キレイゴトで考えてしまっている気がするのだ。

 

 

確かに、“公”教育では「商品」「顧客」という表現は適切ではないのは明らかだ。しかし私教育はその限りではない。何だか、中途半端に公教育のこういった聖域を都合よく自分のところに引っ張ってきているような気がしてならないのだ。これだけでもないような気はするけれど。我々がどれだけ公教育に近しいことをやっても、私教育の枠から出られないわけで、その点でサービス業という枠を出ることもできない。

 

多くのサービス業で、提供する側と享受する側の関係をそう表現することは特に問題がないのに、私教育では不適切だとみなされがちなのは一体なぜなのだろう。

 

ところで、先述の「お客様」呼ばわりしない、「いらっしゃいませ」と言わない、というのも我ながら随分と思い上がったというか、傲慢な考え方だなと思う。私も(私だけ?)教育の呪いにかかってしまっているのかもしれない。

【読書記録】ときほぐす手帳: いいことばかりが続くわけじゃない日々をゆるやかにつむぐ私のノートの使い方

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たまたまツイッターで見つけて気になって即買い。というよりKindle Unlimitedだったから買った感覚はないのだけど(笑)著者はバレットジャーナルユーザーだが、それとデジタルツールの併用について書かれた本である。ていうかこの方、「箇条書き手帳」でうまくいく はじめてのバレットジャーナルの著者だったんだ。

 

私も今年からバレットジャーナルで時間管理をしている。もともとほぼ日手帳をずっと使っていて、ウィークリーがいいな、でもカズンだと思いなとなりつつ、半ば手帳難民になりながらここ2年ほど色々とっかえひっかえしていたのだが、今年はこれ。数年前から知っていて気にはなっていたものの、実践するのは初めてだ。今のところ、自由度の高さがすごく心地よい。

 

また、一方でデジタルツールによる時間管理とアナログツールによる時間管理もずっと行き来している。こちらも半ば難民状態だ。今のところはアナログツールメインでたまに併用している程度だが、この自分の状況が著者の実践と非常に近いので興味を持って購入した次第である。

 

内容的にはタスクの細分化など、時間管理術では割と当たり前のことが書かれているが、自分とやっていることが似ていると、刺さり度合いも違う。著者はグーグルカレンダーを自分よりもさらに使い込んで上手く併用をしているようだ。私はアポの登録を必要最小限でやっている状況なので、もっとデジタルツールにアウトソースしていこうと思う。Notionについても書かれていた。これも気になってはいるものの、アカウントを取得して以来全く使っていない、というよりはいまいち使い方がわからない。やれる部分は色々やってみようかな。

 

しかし、私が読んでいて一番良かったのはここではない。

 

最後の「ステップ10 まよったときには」である。

 

この章では、このご時世で悩みやストレスを抱えやすくなり、その中でやりたいことを先延ばしにしてしまう、あるいはせざるを得ない状況が続いている。その処方箋を、心理学的知見を交えつつ書かれている。ここに私は大変温かみを感じた。著者も明記しているが、この状況で色々と迷い、悶々とした日々を過ごされたのであろう。実際に経験した人間の紡ぐ言葉は強い力をもつ。たしかに、この章だけでなく、本全体において、どことなく、あたたかさを感じる部分がいくつかあったのだ。私は、文体はパーソナリティを反映すると信じてはばからないのだが、このパーソナリティーには私は非常にシンパシーを抱いた。やはり何かを主張するときには、声を大にして相手の腕を引っ張るような言い回しではなく、穏やかな口調で背中を後押しするようでありたいと思うのである。

言霊

私は幽霊の類などを信じる人間ではないが、言霊らしきものはあると思っている。

 

授業をしているとよくあるのが、授業が構成通りにハマり、語りも流暢にできたけれど、生徒からの反響は今ひとつだということだ。もちろん、逆に、しどろもどろになって穴があったらすぐに入りたいといった授業であっても、案外生徒からの反応は良い、ということもある。

 

後者だった場合を振り返れば、うまく言葉が選べなかったけれど、ひたすら伝われ伝われということを念じていた気がする(笑)言葉が表すその意味だけでなく、自分自身の感情も乗せているわけだ。見たいように見ていると思えなくもないが、自分の思いが伝わったのではないかと思っている。

 

言葉に感情を乗せる。もう少し大げさに言えば、自分の魂を分け与えて乗せるということだ。言葉を相手にかけるということは、自分のHPやMPを相手に分け与えることと同義だと思っている。まるでアンパンマンが困っている人に自分の顔を渡すかのように。いや、むしろ、それくらいの覚悟で言葉というのは発するべきだと思っている。

 

ということで、本日の授業は思いっきり感情を乗せすぎてHPもMPも残り一桁でしたとさ(笑)

教えることより大切なこと

よく教える人たちの間で言われるのが「教科書を教える」のではなく「教科書で教える」ということである。つまり、教科書に書かれた内容をそのまま教えるのではなく、教科書の内容をしっかりと研究した上で、時には教科書以外の教材を用い、教科書の内容を飛び越えて高次の理解に至るべきだ、ということだ。

 

私も教え始めて間もない頃は、まさに「教科書で教える」教え方をしていた。自分で準備した教案をそのまま教え込むということをしていた。その教案も思い返せばクオリティの低いもので、教えるべきポイントをぶつ切りにしたものを脈絡なく提供していたにすぎない。要するに、全くストーリー性のないお話をただ提示していたのだろう。「桃太郎」でいきなり鬼がでてきて、そのあとおばあさんがでてきて、最後に桃太郎が登場となっては支離滅裂極まりない(笑)

 

もちろん授業にストーリー性を持たせることは意識していたが、実際にやってみるのはすごく難しい。それでへこたれながらも、ようやく少しはストーリー性をもたせられるようになってきた。その上で、今度は「どう教えるか」について意識を強くしていった。これもまあ、教える人間のキャリアアップとしては自然な流れだと思う。これがおそらくは「教科書で教える」方法の第一歩だと思う。

 

例えば、原子の結合は誰が教えてもその事実は変わらない。インプットする内容が同じなわけだ。では、なぜあの教え方が良くてあの教え方が良くないといった差別化が生まれるのか。それは「どう教えるか」で決まるのだと思う。よくなされるのが原子の擬人化である。例えば、イオン結合であれば、ジャイアンを非金属、のびたを金属になぞらえて、ジャイアンのび太が物(=電子対)の取り合いをしていてジャイアンがそれをやすやすと奪う。その結果奪った側は陰イオンになって奪われた側は陽イオンになる、といった流れの説明だろう。淡白にデンキインセイドガーと教えるよりはずっとインパクトを持って頭に入りやすいと思う(もちろんこれもウケる生徒とそうでない生徒がいるのでその点は注意しなければならない)。

 

そして、最近ではどうだろうか。実は、もはや授業がどうこうということはあまり考えていない。もちろん教案の作成や教務力の向上をおろそかにしているわけではないが、自分自身がそれよりも大事にしているのは「かかわり」である。そう、「生徒とのかかわり」だ。結局、授業内容をしっかりと受け止めてもらえるかどうかは、自分自身が信頼に足る人間と思われるかどうかにかかっていると思う。そのへんのよくわからないおっさんがすごく上手い授業をしていたら、たしかに「コイツすげえ」と思うかもしれないが、一方で、どこかで怪しむ/警戒するという気持ちがはたらくのではないだろうか。そうではなく、「この人にならこの教科の学力向上は託して良い」と思われなければならない。ちょっと成績が伸び悩んでいるときにそれを把握して声をかけられるか。生徒が関心を持っていることについて話をしているときに即座に遮るのではなく、耳を傾けているか(もちろん授業の邪魔はあってはならないのだが)。そういうことが、ハイクオリティな授業をするよりも今の自分にとっては一番大事なことである。

 

特にこのご時世、何かと人とのかかわりが希薄になっている気がするし、生徒自身も数年前よりそのかかわりを渇望しているように見受けられることが何度かある。その渇きを、こんな私でも潤すことができるのであれば率先してやる。今年は特にあの手この手で色々やっている。まだまだ不慣れな点もあるが、少しずつ、小さいけれど成果が見え始めている気がする。誰かのオアシスになれるように、これからも精進だ。

化学の作問の悩ましさ

仕事柄、高校化学の問題を作ることがある。ベーシックなものから入試レベルのものまで様々である。ベーシックなものであれば、いわば計算ドリル的なものだから、ササッと作れるのだが(数値替えをすればほぼ無限に作れる)、悩ましいのは、模試やちょっとした力試しの問題で使うような、入試レベルの問題である。

 

特に最近は著作権に関して色々と厳しくなってきていて、例えば個別にハイと入試問題をコピーしたものを渡すことは難しい。そこで、入試における典型問題を真似て作ることになる。

 

ところがこの場合、大学入試の問題を模して作ることは非常に難しい。私は本番の入試と模試は似て非なるものだと思っている。大学入試は大学の教授陣が受験生に向けて送るメッセージだと考えていて、問題の独創的な構成だけでなく、そういうメッセージ性を再現するのが非常に難しいのである。なるべく近づけるために分析に分析を重ねていくのが我々の仕事でもあるのだが、それでもいっこうに近づける気がしない。それほどに大学側から送られるメッセージは深いものだと思う。

 

そしてもう一つ、化学の作問を難しくしている要因がある。それは「具体的な事物を扱うこと」である。これが数学や物理であれば、抽象度が上がるのでまだ作問はしやすいのだろうが(たぶん数学や物理は別の点で悩ましさがあるのだろう)、ある程度具体的な事物を取り上げないと入試問題らしくならず、作られた感が半端なく出てしまう。だから、具体的な物質をテーマとするために、あらゆる物質の物性を正しく、しかも深いレベルで理解しておかねばならない。大学の教授陣の知識の深さには到底かなわないと、作問をするたびに思う。

 

まだ物理化学的な要素が含まれていれば、多少は抽象的な議論でも問題ないのだが、無機化学有機化学ではそうはいかない。最先端の科学にまつわる物質ももちろん入試で出てくるので、その点に関してもアンテナを張っておかねばならない。

 

そういうわけで、自分の作る問題では、時に謎の1価の弱酸HAを登場せざるを得なくなるのである(笑)

連続1ヶ月投稿達成

ふと思い立って、ブログを立ち上げたのが5月22日。今日は6月23日。厳密には一昨日と言ったほうがいいのかもしれないが、ブログを立ち上げてから1ヶ月、6月23日で33日目を迎える。そしてこれが33個目の投稿となる。つまり、初公開から今日まで、毎日ブログを書き続けた。

 

世の中の成功者を見ていると、もちろんパッションや奇抜な発想も大事なのだが、一番大事なのは「継続すること」だとつくづく感じる。YoutuberのHikakinさんも、10年以上動画公開を続けているからこそ、あの位置に立てているのだと思う。

 

私はこれまで、ブログを作っては壊し、作っては壊しを続けてきた。根が面倒臭がり&三日坊主なので、どうしても途中で途絶えてしまう。そこで一気に気持ちが萎えて、そのまま放置ということをやっていた。noteもやったけれど、それも結局退会した(まあああれは三日坊主の性格だけでなく、色々思うところがあってのことなのだが)。

 

そして勢いであるとはいえ、ブログを立ち上げた。そのときに、「今度は続けよう」という謎の強い気持ちがあった(だいたい何かを始めるときは理由もなく思いつきで始めるものである)。最初は週3回とかの頻度で書こうと思っていたが、どこで気が変わったのか、毎日書こうと決意した。おそらく、ずっと継続していると、逆に継続しないことが気持ち悪くなり、自ずと継続する姿勢をとれるという安易な考えからだろう。

 

疲労困憊で、書くのが面倒なときもあったが、何とか書き続けた。慌てて移動中にスマホで書き上げることもあった。そして何とかして人生で初めて1ヶ月毎日投稿するということを成し遂げた。こんなことをいちいち書くなんて幼稚だなあと思うが、何せ人生で初めてなのだ。今回くらいは自己満足でもいいから喜びたいところである。ちなみに書き続けられたのは予約投稿の機能があったことが非常に大きい。これには運営側に大いに感謝したい(笑)

 

1ヶ月連続投稿してみて、やりきったというかホッとした気持ちはあまりない。単に通過点というか、これからもネタがあればずっと書き続けていきたいと思う。本当はアクセスも伸びてほしいが、まあまだまだ駄文だし、とりあえずは「継続すること」が大事だということを念頭に、思うがままに書き続けていきたい。