ツキアカリテラス

tsuki-akr terrace

門出は陰から見送る

国公立前期試験の合格の報告に今年も生徒が来てくれた(1つ前の記事の通り、私への報告はいつもよりも寂しいものとなったが)。さて、ここで決まって起こるイベントが合格者の写真撮影である。

 

私も受験生だったときに経験があるが、よくスタッフと一緒にガッツポーズやらピースやらで写るアレである。私も誘われたらもちろんその中に写るのだが、その時限りだ。つまり、私は極力そこには入らないようにしている。だからああいう写真には、基本的に私は写っていない。少しせこい話になると広告塔になるのでは、という考えもあるが、それであれば本人だけが喜びの表情で写ればいいと思っている。

 

私がああいう写真に写らないのは、写真写りに自信がないとかそういう理由ではない。大きな理由が2つある。まず1つ目の理由は、この受験の主役は受験生であると思うからだ。それなのに教える人間が同じ写真の中にいると「わしが育てた」感がすごく出てしまう。それが個人的に好かないのだ。

実際に私のおかげです、と言ってくれる生徒もたまにいてありがたい限りなのだが、合格を手にしたのは間違いなく本人の努力の結果だろうし、科目レベルで考えても私以外の寄与は私と同等、いやそれ以上に非常に大きいのは言うまでもない。さらに言えば、他の講師やスタッフ、そして家族や友人がいてこそ成し遂げた合格である。なのに、それを差し置くような形で私が合格に導きました、みたいな形で写るのが、こそばがゆい以上に避けたいのである。

 

もう1つの理由は、受験が終わったらさっさと私のことは忘れて欲しいからである。受験が終わったら私はただの大学入試オタクである(いや、受験が始まろうが終わろうがそうなのだが)。実際、本当の恩師、慕うべき大人たちはここから先の未来に出会うことになると思っている。私はと言えば、ただ、偶然出会って大学入試の時間を共にし、そこで時折声をかけただけである。それ以上のことは何もしていない。その人の人生という長い道程の中では、ただの通りすがりの人間である。

 

ただ、ふとしたときに大学入試を振り返るときがあって、そのときに、あああんな人いたな、と思い出してくれればそれだけで私は幸せである。