ツキアカリテラス

tsuki-akr terrace

緊張感のない人間は何をやらせてもダメ

オブラートに包まない表現だが、まちがいなく自分の意見として最も大事にしたいことの一つである。

 

これを知ったのは実は教育現場ではなく、趣味の音楽活動で、知人が事あるごとに言っていた言葉である。いわゆる思い出補正で、もしかしたら自分の中で過激な表現になってしまっているのかもしれないが(笑)

 

たしかにそうだ。授業においても、テストをやらせることは何度もあるが、そこではあまり結果についてどうこう思わない。たとえ結果が悪かったとしても、今の自分を出し切っていれば咎める理由などないし、そこから何かを学ぶことができ、将来のステップアップにつながれば、ある意味良い結果だと思っている。入試本番は一発勝負で結果のみがすべてである。それは大人の世界でも当てはまることなのだが、だからといってプロセスをないがしろにしていいわけではないし、むしろ勝負までの自己鍛錬であれば、プロセスを重んじるべきだと思っている。

 

だからこそ、テストの際に「俺/私できないしー」と思考停止に陥ったり、投げやりになったりする、あるいは入試本番じゃないからと言って明らかに手を抜いている、油断しているような態度をとられると、多少苛立ちを感じるものがある。最初の気持ちで負けてしまっている、言い換えれば成果を出すことを放棄してしまい、自ら白旗を上げているのだ。そしてその負け癖は自覚しづらい(ましてや中途半端にいい点を取っているとなおさらだ)。その負け癖は自覚されぬまま本人の精神を蝕んでいき、ここぞというところで努力できない人間に至らしめてしまう。

 

逆に、そこで適度な緊張感があれば、実力が及ばなかったとしても、案外そのときの気持ちの持ちようで、それ以上のパフォーマンスを発揮できることが多い気がする。以前、覇気ということについて書いたが、緊張感をもつことと覇気をまとうことはほぼ同義ではないかと思う。

 

何事も舐めてはいけないし、緊張感を持って事にあたるべきだ。遊びは真剣にやるのに勉学を真剣にやらないのはどう考えてもおかしいと思う。