ツキアカリテラス

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老害になる自分とのせめぎ合い

ちょっと前にこれを見てなるほどと思った。

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私も、もういい年である(少なくとも動画にある35は超えている)。見た目は実年齢よりも若いと専らの評判(?)だが、それでも昔に比べると随分と説教臭くなってきている気がする。

 

昔は授業というのは正しいことを正しく教えれば良い、そしてそれを生徒がしっかりと吸収してくれれば良いと思っていた。しかし、それだけではすべての生徒の底上げをすることは困難であることに行き着く。結果、モチベーションだの、学習法だの、メンタルコントロールだのの話を織り込むことになってくるし、授業スタイルもどちらかといえばティーチングというよりはトレーニングやコーチングの方向性に変わっていく。授業内で訓話をすることも昔はほとんどなかったのだが、今は割とある気がする。

 

根底にあるのは生徒の学力向上であり、これは至上命題であり、我々が確実に提供しなければならないサービスの1つであると思う。そのためにあれこれと手を尽くすことは方向性としては間違っていないと思う。キャリアを経て様々なインプットをした賜物だとも言えるだろう。

 

しかしながら、生徒との年齢差は昔よりも開いている。年の差が近ければ、トレーナーであろうがコーチであろうが、お兄ちゃんと一緒に頑張る、みたいな感覚なのだろうと思うが、いつまでもそうはいかない。大して関心のないおっさんにそのようなことをされては、かえって嫌悪感を与えるだけではないか。昔は若さは武器というのは半信半疑に思っていたが、それなりに年を食ってようやくそれが真実だと気づく。

 

そしてさらに怖いのが、当の生徒はおそらくそういうことは一切教えてくれないから、老害になっているかどうかは、自分自身で自覚して気づくしかないのである。「先生それって老害ですよ」なんて、冗談ならまだしも、本音で面と向かって言う生徒などいないだろう。何も語らず、本人も老害と気づかぬままにフェードアウトされるのがオチだ。

 

ではトレーナーやコーチとしての役割を捨てるべきか。私の答えは否である。やはり、どこかで説教したり檄を飛ばさなきゃいけないときはある。ヒッキー北風みたいに生理的に無理!とそっぽを向かれやしないかという恐怖を抱えながら。私自身は単に嫌われるのは別に構わないが(そもそも好かれるということに興味がない)、信頼関係を失うのは怖い。これからはそういうリスクと付き合いながら教壇に立たなければならない。

 

いつかは多かれ少なかれ老害になってしまうのかもしれないが、老害になっていないか、日々の行動から反省する習慣をもっておかないといけないな、と思う。それだけでもだいぶ違うだろうから。