ツキアカリテラス

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私が博士号を取得するまで(4)

無事に内定をもらえたのはいいのだけど、肝心の研究は相変わらず鳴かず飛ばずだった。

 

一つ目の理由としては、もともと応用研究主体のラボであるにも関わらず、基礎研究ど真ん中の研究をやっていたことだ。しかもそれがラボの中心となるテーマとは若干外れていることも大きかったと思う。本来、ラボの研究というのは、個々は違った研究をしているけれど、それは枝葉の問題であり、大きな幹としては多くても2つないし3つの主要テーマが組織的に進められていることが多い。その幹にも含まれないようなテーマだった。もっとも、後輩がそれに関連したテーマで画期的なシーズを見つけたこともあり、そっちの方向にはかなり発展したようだが。そういうものを嗅ぎ取る嗅覚も私は持ち合わせていなかったのだろう。

 

二つ目の理由としては、私の研究テーマ自体が、学部時代から一貫しているようでブレブレだったことだ。同じようなことをこねくり回すのではなく、前進していかなければならないのが研究である。だから、ちょっと違うことはやっていかなければならないのだけど、必ず和集合は担保した上でやっていかなければならない。その点についても、後の祭りではあるが、私はあまり気にかけなかったこともあり、和集合がギリギリあるかないかといったところだった。そもそもの研究の進め方も適切ではなかったのである。

 

なぜこういうことになったのかといえば、当時の私のパーソナリティ、この一点に尽きると思う。今でもそうなのだが、私は独力で問題解決をしようとする傾向が強く、人に質問することを億劫だと思う人間だった。そもそもの研究の進め方も、根掘り葉掘りラボの先輩や教員に尋ねればよかったのだが。結局は自業自得だったのだ。

 

それでも新しくこられたスタッフの尽力もあり、精神的に参りかけるときもあったのだが(特に博士課程を留年した年の夏はかなり辛かった)、遅ればせながら少しずつ研究の進め方の作法を身につけていき、なんとか海外のジャーナルにアクセプトされ(それれなりにインパクトファクターがあるところだったのでよかった、リバイス4つはなかなかしんどかったけれど笑)、公聴会でもボコボコにされてまた精神的に参ったのだが(公聴会の晩は胃酸の出過ぎなのか、腹痛で夜中に目が覚めた)、なんとか博士号を取得することができた。私が博士課程を修了した年は、隣近所のラボでも博士課程を修了する人が比較的多くて、そのときは少し孤独が紛れた。

 

まあここまでひどいダメ院生はそうそういなかっただろうと思う。言葉を悪くしていえば、私のラボの一員としての生活は、自分で言うのもなんだが、空白の時間だった。アカデミアに対して未練がないといえば嘘になるが、ある程度作法を身につけたとはいえ、もはや私にここに戻る資格はないと思っている。就職してからほどなく、アカポスの誘いが来たのだがそれも断った。先述の通り、私の居場所はそこにはないと思っていたし、自分が社会に貢献できる人間となる最後のチャンスとして、高い熱量をもって追求できる今の仕事に邁進したかった。

 

私がこのラボにいたという事実は無かったことにしたいと今でも思っている。ただ、こういうことをしてはいけない、ということは人よりは話すことができるため、それは機会があれば後の世代の方々に語っていければと思う。私のような学生を再生産しないために。それが、博士号を取得した私の、唯一可能な社会に対する還元の方法だし、ある意味で贖罪でもある。

 

これから博士課程を目指す方、現在博士課程を目指す方は、

 

  • とにかく困ったら誰かに訪ねること
  • 中長期的な研究のロードマップを意識すること

 

は肝に銘じていただきたいと思う。私を反面教師として。

 

終わり。