ツキアカリテラス

tsuki-akr terrace

入試問題における改題や自作問題の是非について

最近、物理の学び直しで「名問の森」の電磁気分野をやっている。実はやるのは2度めで、最初は解説が自分にはフィットしておらず、うーん、、、といった感想だったのだが、改めてやってみるとやはり名問というのは言い過ぎではなく、良い問題である。改題はされているが、それはそれで頭を使わせるような仕掛けが随所にあり、教育的効果は大きいと思う。模試についても当てはまることだろう。

 

これについては化学についても同じで、多くの難関大受験生がやる「化学の新演習」。これも改題が随所になされており、頭を使うような仕掛けが組み込まれている。

 

ただ、個人的には改題された問題を、とりわけ直前期にやることに関しては少々否定的なのである。改題や模試は確かに思考力を問う要素をドーピングしたものが多く、それ自体が良問であることも少なくない。しかし、それが実際に出題される大学入試の問題の対策に直結するかというと、そうとも限らない気がするのだ。実際の入試問題と、その改題や模試の問題はどこかが違う。まだうまく言語化できていないのだが、今のところは「アカデミックの香りがするか」というのが一番フィットする表現だと思っている。一番典型的なのが、化学で言えば東大だと思う。特に今年の東大の問題はここ数年でも傑作と思われるクオリティだと思う。自分では一生かかってもあんな知的興奮を促し、それでいて基本知識と思考力をバランスよく問う問題は作れない。

 

しかし、入試問題を解くだけ、であればそのような要素は特に必要がない。むしろその目的であれば、思考の枠組みをマスターするための訓練が重視されるので、多くの改題や自作問題はそちらに偏ったものになりがちである。特に夏など、ガリガリ入試問題の得点力を向上する時期であればそれをこなすのも良いだろう。

 

ところが、このような問題はその目的のため、リード文におけるアカデミックの香りは随分と消えてしまう。それに対して、実際の入試問題はアカデミックの香りがプンプンする問題が多い。難関大になると特にその傾向が強まる。我々も経験があると思うが、テイストの違う文章を読むとなるとどうしても時間と体力を余計に消耗してしまう。そのような問題に触れる機会がなければ、問題を読むことだけで一苦労なのだ。だから私は直前期は特に過去問に触れるように勧めるし、それをやり終えた場合は、直近の他大学の過去問を勧める。

 

問題には思想が宿る。その思想に合わせて、その問題をやるべき時期も決まってくる。適切な時期に適切な問題を提示していきたい。