ツキアカリテラス

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受験生はtwitterやめたら?について

受験生が夏頃からよく聞く、あるいは受験生を教えている人間が夏頃からよく話す言葉が「twitterやめたら?」だ。なぜかこういう言い回しではtwitterが真っ先に槍玉に挙げられるのだが笑、twitterというか、SNS一般ということになるのだと思う。

 

個人的にはtwitterは情報収集のツールとしては有用だと思っている。最近はツイートの信憑性やら情報価値やらはだだ下がりしているように思われるが、極めてプライベートな情報を集めるのであれば適していると思う(それを信じるかどうかは自己責任なのだけど)。昔でいうところの個人ブログに近い位置付けなのかもしれない。

 

だから安易に、twitterやめたら?というのは個人的にはいかがなものかな、twitterの役立つ面をちゃんと見ているのかな、と思っていたのだが、最近は少し考えを改めつつある。いや、SNSのサービスの恩恵に預かることを否定するのではないし、後に述べるようにそもそも私がtwitterをやめることをできていない。自分ができないことを他人に押し付けるのは愚かな行為だと思っているので、おそらくこれからもtwitterやめたら?みたいなことは言うまい。でも、ある程度外部からの強制力は必要だよなという。

 

私にとってもSNSはある意味でインフラみたいなものである。生活の質を維持するにはなくてはならないものだと思っている。だが、やはりのめり込みすぎているなあというふうに感じていたことと、デジタル・ミニマリストの話を知って、少しセーブしてみようかなという気になった。

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そこで、今更感はあるが、今年に入ってからiPhoneのスクリーンタイムを設定してみた。自分が使うのであれば、せいぜい1時間くらいだろうと思っていたのだが、まあすぐに制限が来る(笑)休みの日なんてすぐだ。で、完全に遮断されるわけではなくて「今日だけは無視」というボタンがあるんですよね。この誘惑に負けることも数知れず。というより、現状全敗である(泣)。そりゃそうだ、これだけの中毒性があって、時間を溶かしてしまうのだもの。自分の意思でセーブできるのならいいのだけど、その意思の強さというのは半端ないレベルでなければなかなか難しいだろうと思う。喫煙者にとって禁煙が難しいという気持ちがわかったような気がする。

 

そういうわけで、自律的にtwitterなどのSNSをやめるというのは極めて困難なのだ。だから、第三者から口を酸っぱくして何度も伝えて、じんわりと意識改革をさせる、ということは必要なのかなと思う。先述の通り、「やめたら?」というのは安易に言えないが。

 

と同時に、「やめたら?」と言いっぱなしにすれば済む話ではないと思う。SNSの中毒性は大人にとっても肌で感じるレベルでわかっているはず。「どうやめるか」ということを具体的に伝えていく必要があるのだと思う。食事指導で「甘いものをやめろ」と言っても何の説得力もない。「甘いものをやめるにはどうしたらいいか、それでも満足感を得られるためにはどのようなものを食べれば良いか、どんな献立にしたら良いか」というところまでを伝えてこその指導だと思う。

 

ところで、私の後日談なのだが、スクリーンタイムが全く無力だったわけではない。それでも昔に比べれば確実にSNSを触る時間は短くなった。通知が来るだけでも「ああやりすぎだな、そろそろやめないとな」というふうに意識が向く。それならkindleで本でも読むかといった感じで。スクリーンタイムの機能に依存することは自分が屈したことにはならない。むしろ、自分の意思の弱さを道具で補完したという、前向きな行動だと思う。

 

これについてもガチでやった方がいいのかなと思う。もちろん、成功したあかつきにはそれを後世に共有したい。

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