ツキアカリテラス

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喪失した熱量を、君のために分け与える

このコロナの中で薄々感じていたことが、ここ数ヶ月で急に顕在化してきている気がする。それは「熱量の喪失」だ。

 

最初は対岸の火事というか、割と遠いところで起きている話だと思っていた。たしかに電車の人身事故は増えているような気がしていたけれども、比較的私の近くにいる人たちは新しい趣味に興じたり、個々で自分なりに日々を楽しんでいるように見受けられた。しかし、特に今年に入ってからは私の近くでも、心を病むと言えば大げさなのだが、人となりが過去とは明らかに違うな、と感じることが増えてきた。もちろん良くない意味で。何だかバイタリティが抜け去っている、そんな印象を受けるのだ。薪をどれだけくべても、湿っぽいのか、炎の勢いが増す気配がないように。それがつい最近になって拍車がかかってきたような形だ。

 

そりゃあ、このご時世、メディアでもネガティブなニュースを強調してばかりだし、四六時中マスクをしていては新鮮な空気を存分に吸い込むこともできない。授業もオンライン授業で味気がない。毎日当たり前のように居た学び舎が休校になって、当たり前でなくなっている。そんなことがもう一年半以上も続いている。この状態でベストコンディションを維持しようということ自体、かなりハードなことだと思う。

 

とは言え、人によっては置かれた状況が正念場という場合も少なくない。例えば受験生であれば、そんなことは言っていられないだろう。なるだけベストコンディションになるように、最善を尽くす必要がある。

 

だからこそ、特に今は生徒のメンタル面でのケアが必要だと思う。これは受験学年だけでなく非受験学年でもそうだと思う。目の前に受験が迫っていなくても、長期的に見れば学力向上の大きな阻害要因となる。本当は生徒を爆笑の渦に巻き込むのがベストなのだろうけれど、私は正直、笑いのセンスも大したものがなく、これまでの人生経験もさしてドラマチックなものはないから、雑談も大して面白いものがない(つくづく自分って面白くない人間だなあと思う、、、)。

 

でも、そんな自分でも、励ましたり、前向きな気持ちにさせることはできるかもしれない。自分がまさにそういうスタンスでふさぎこんだ気持ちを、多少無理矢理にでも、何とかすることができたから。今度はそのやり方を関わった人たちにシェアするのだ。面談などで前向きな言葉をかけたり、冗談を言ったりして、フフッとでもさせてあげられたなら、自分としては上出来だと思う。真面目な話であればいくらでもするので、そのあたりは特に困ることはないと思う笑

 

あるいは、いわゆる「新しい生活様式」で会話が希薄になっている。ちょっとした声掛けだけでも、救われることがあるのではないか。ばったり出くわしたときでもいい、机間巡視のときでもいい、どうしても直接話しかけられる機会がないのであれば、伝言や書き置きを託すのでも良いと思う。

 

これはある意味、自分の何かを切り分ける作業でもあると思っている(私自身はよく「MPを消費する」と表現している)。アンパンマンが弱っている人に自分の顔をちぎって食べさせ、元気にさせるのと同じようなものだと思う。私だってロボットではないから、上記の影響を受けていないわけではなく、見える景色が快晴よりも曇天の方が増えたかなという印象はある。他人の心配よりも自分の心配をした方がいいのかもしれない。

 

だが、自分自身がこれからの時代をどう生きるかよりも、後の世代がこの世界をよくするように動いてくれることの方がずっと大切であると思っている。だから、明日も今日以上に「かかわること」を強く意識していく。それを日々積み重ねていく。ただそれだけである。

 

もちろん生徒だけではない。私の近くにいるプライベートな間柄の人たちにおいても同じことが言える。内向的だとか気を遣いすぎだとかで、もともとこういうことは積極的にする方ではなく、当座は自分を奮い立たせてという形になるけれど、言いたいことがあれば、前向きにさせたい言葉が浮かべば、すぐに言うっていうスタンスを大事にしたいと思う。