ツキアカリテラス

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選ばれた自分を求めるのはやめよう

新型コロナウィルスの感染者が急減している。要因は様々あるが、やはりワクチンの接種は大きく貢献していると思う。もちろんワクチンを打つことの是非については色々な考え方があるのだけど、現状では最善の策だと思っていて、この間に特効薬の開発を続けていくことが大切だと思う。

 

私自身はもちろんこの通り、ワクチンに関しては肯定的なのだが、ワクチンパスポートに関しては反対の立場である。先ほど「色々な考え方」がある、と述べた。現状ワクチン接種は義務化されていない以上、ワクチンの接種を強いることはあってはならないと思うし、ましてやそういう状況において、接種した/しないで人の自由を制限する、ということは、もっとあってはならないことだと思う。極端な話、選民思想にもつながると思う。ただ、一定の支持が得られているということは、そのような区別を良しとする民意が少なからずあるということだろう。

 

で、ここからが本題である(実はワクチンの話をしたいのではない)。

 

ワクチンパスポートの件で思ったのは、こういう事象はコミュニティの大きさに関係なく、どこでも似たようなことが起こりうるし、我々もついついそういうことをしてしまうということだ。ワクチンパスポートは要するに「ワクチンを接種した人と接種していない人を区別する」ということだ。区別というよりは明らかに接種側に利があるのだから、「ランク分け」といったほうがいいのかもしれない。

 

例えば、格付けチェックという番組がある。まさに「ランク分け」をコンセプトとした番組だ。ここ数年はありきたりの展開ばかりなのだけど、それでも視聴者が参加できるような仕掛けもあるし、人気番組なんだろうなと思う。しかし、例えば値段の高いワインが見分けられるだの、値段の高いギターの音色が見分けられるだの、っていうのは、たくさんあるステータスの1つであって、その人の全体を決めるものではない。お遊びで一喜一憂くらいならしたっていいのだけど、本当はそれが人のランク付けになるものではない。ワインの値打ちが分からなくたって、聖人君子みたいな人だったら別にいいじゃんと思うし。我々はこういう格付けに興じてしまいがちなのだけど、だからこそ、こういうバラエティというのは虚構だとしっかり自覚しながら視聴しないといけないと思う。

 

また、私は音楽を趣味にしているのだけど、そこにおいても似たようなことが当てはまると思う。あるジャンルの音楽に傾倒している人の中には、もちろん寛容な人はたくさんいるのだけど、たまに自分が傾倒しているジャンルしか認めない、それ以外は格下、みたいに思っている人がいる。ジャンルを特定のアーティストに置き換えてもいいかもしれない。特にバンド活動している人の中でしばしば聞く意見は「生楽器の音こそ至高、打ち込みは到底かなわない」といったものである。たしかに生楽器の音圧というのは何物にも代えがたいものだけれど、打ち込みが完全に負けるのかというとそうでもない。そっちはそっちでしっかりとフォロワーを集めているし、なんなら人気のボカロ界隈はほぼほぼ打ち込みではないか。それぞれにいいところがある、それでいいと思う。

 

これ以外にも、自分、もしくは自分がフォローしているもの以外を見下すことってのはあると思う。最近よく耳にするようになった「マウント」も根っこは同じだと思う。我々人間は、何かを下に見たり、上に立ちたがったりすることが性分としてあるのかもしれない。これって心理学的に裏付けでもあるのだろうか、マズローの承認欲求とかになるのだろうか。でも、その欲望のままに生きていると、あちらこちらで分断が起きたり(もう既に顕在化しているけれど)、誰も幸せにならないと思う。自分で自分を制御することが大切だと思う。

 

と思ったら、20年近く前にそれは既に言われていたし、多数の人々の支持も受けているはずなんですよね。もう一度、このときの共感を。

 

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