ツキアカリテラス

tsuki-akr terrace

断捨離しなくてよかったこと

私は物持ちが良いというか、物が捨てられない性分である。世間ではミニマリストだの断捨離だのが流行っているのに。年に数回、思い切って捨てることはあるのだが、それでも本当は捨てた方がいいのにと思いつつ、捨てられないものはたくさんある。書籍類はもちろん、大学の学部時代のテキストやらレジュメやらも残している。さっさとスキャンすればいいものの、やはりパッと取り出せる便利さを考えると物として残しておきたいわけで、あとは何よりスキャンが面倒なので(むしろ便利だとかいうのはその言い訳かもしれない笑)そのまま場所を占領しているのである。

 

断捨離の基準でよく言われるのは「1年以上使わなかったものは処分」だ。それ以降は使わない可能性が高いからということらしい。しかし、そうやって軽率に処分して良いものかと言われると、少し疑問が残るのである。

 

先日、授業準備をしていたときのことだ。どうしても分からなかったことがある。しかし、過去に必ずどこかで同じことを調べていたことは記憶している。でもその文献がわからない。それで、あれこれ本棚を探していて目当てのものを探すことができた。その文献は学部の頃に一般教養の物理化学で使っていた、吉岡甲子郎先生の「化学通論」という本である。物理化学ならアトキンスだろと思われがちで、実際私はアトキンスも持っているのだが、それでも絶妙なコンパクトさと簡潔な文体が使いやすくて、ずっと捨てられずにとっているのだ。単に物理化学の本であれば、断捨離をすれば、たぶんアトキンスを残すのだろうが、こういう調べ物は複数の文献から多角的に調べる方が良い場合は往往にしてある。だからどうしても捨てられないのである。この本を開くのは年に数回しかないのだが、それでも役に立つ場面はこういうふうにあるものだ。大学で研究をしていたときに多分そういう考え方を身につけたのだろうと思う。

 

紙ものの本ではなく、ファイルであっても同じである。別で調べ物をしていたときに、塩漬けにされていたpdfファイル(しかも適当な名前のつけられたフォルダにあったという笑)で調べることができたことがある。どこで役立つかわからない。大学のころの研究データや実験書も一部保存しているだが、それが作問で参考になったこともある。

 

いつ役立つか分からなくて捨てるのが不安だから、やはり断捨離は私には無理なのかもしれない、、