ツキアカリテラス

tsuki-akr terrace

上位と下位どちらにシフトするか

成績の上位と下位が混在している場合、そしてその差が大きい場合、どちらに合わせるか。これは悩ましい問題であり、講師の思想が如実に現れる問題でもあると思う。

 

私が教える仕事を始めたときは、完全に上位に合わせていた。それが私が受けた予備校の教育だったからだ。あのときの知的好奇心を掻き立てられた経験の数々。それを後世の人たちに還元してあげたいという思いでいっぱいだった。今思えばなんと傲慢だったことか。

 

しかし、塾に来て理科の講座を受講するということは、多かれ少なかれ理科について伸び悩みや苦手意識があって、それを何とかしたいという動機を持っている。科目の特性もあるのか、理科がやたら好きな生徒も集まって来やすいのだが、本来のサービスは、そういった困っている生徒を助けることだろう。数年前にそういうことを考えてからは、かなり下位に合わせるようになった。基本的なこと、エッセンシャルなことを会得させるために、さらに目の前のレベルに合わせて丁寧さを増したりしている。

 

ところが、それでまた悩みのタネになってくるのが上位層の不満である。彼ら、彼女らはもっとガツガツ問題をやりたい、もっと難しい問題をやりたい。自身のレベルアップを渇望しているのだ。しかし実際に展開される授業は、ねちっこいくらいの基礎の徹底。そりゃあ不満を抱かないわけがない。もちろん、そういう不満を抱える人間は小テストをやらせたら意外に満点は取れなくて、どこかミスがあったり抜けがあったりするケースが大半なのだが、だからといって彼らの願望を否定するわけにはいかない。

 

そう、やはり私は欲張りなのである。ここで出会ったのも何かの縁である。そのまま彼ら、彼女らを満足させずにそのままサヨウナラ、というわけにはいかない。目の前の人間はすべて楽しませて帰る。それがサービスを提供する人間の当然のミッションである。もちろんできない生徒をできるようにするのが最優先である。でも上位層も楽しませる、いや楽しませなければならない。自分で自分の首を絞めているような気もするが、これが自他とともに認める最適解というものだろう。

 

だから切り口を変えたり、多角的な視点を示したり、知的好奇心に溢れる話をしたりなど、考えられる手を尽くすのだが、まだ自分の理想にはたどり着けていない。数年前に比べればはるかに自由自在になった気もするがまだまだだ。頭をフル回転させながら教壇に立つ日は続く。