去り際にどうするか
私は普段中高生に理科を教えている仕事をしているのだけれども、こういう仕事をしていてどうしても起こってしまうのが受講をやめる、ということだ。起こってしまうとは言いたくないし、未然にそれは防ぎたいのだが、家庭の事情など止むを得ない理由というのもあり、なかなかそうはいかないところもある。もちろん、自分の授業がそれほど魅力的ではないということを一番反省しなければならないのだが。
昔は「来るもの拒まず、去るもの追わず」というスタンスでいた。今でもそういう気持ちはゼロではない。自分の授業を受けるかどうかなど、生徒の自由意志であるべきだと思うし、入試に向けた勉強においては、自発的に受講するほどの動機付けでないと絶大な効果が望めないからだ。
しかし、最近はそうではなく「去るものを追う、もしくは見送る」ということを大事にしている。私を慕って受講してくれたのもあるし、あるいはちょっとしたご縁かもしれないが、多かれ少なかれ私にそれなりの好意を持って、私の授業を受けてくれたのだ。そういう人がじゃあもうお別れです、となったときにその場に居合わせなかったり、別れの言葉をかけなかったりするのは不義理というものである。
これがしばしのお別れになるのか、一生のお別れになるのかはわからないけれど、いずれにしても授業を受けなくなるということは、間違いなく学力向上の機会が減るということである。他の授業を受けたり自習をしたりで、そのまま伸びていけば取り越し苦労ということになるのだが、実際に止むを得ない理由で授業を受けなくなり「学校の成績が下がりました」という生徒も過去にいた(結局その生徒は再び私の授業を受けることになったのだが)。
せめて学校の授業はしっかりとついていけるようにしたい。基礎を固めるためには学校の授業をちゃんと理解し、定期考査で良い結果を出すことが一番だと考えている。それを改めて強調して伝達し、場合によっては具体的にどういう勉強をしていけば良いかも伝えるべきだと思う。
もしかしたら私自身、生徒に嫌われているかもしれず、そのときはそういう助言はかえって逆効果であろう。しかし、私がちゃんと見送ってあげたいということは主観的な考えであるけれども、私が嫌われているかもしれないというのもまた主観的な考えである。やれることはちゃんとやりきって別れたい。