ツキアカリテラス

tsuki-akr terrace

花火大会を配信で見て考えたこと

今年の夏はあちらこちらで花火大会があったようで、Youtubeなどでもライブ配信がされていた。

 

昔は、友人の住んでいるマンションが最上階、しかもベランダありの部屋で、遠くではあったけれど花火を堪能できる環境だったから、花火大会の日には、そこで食べ物を持ち寄ったり、その場でキッチンで作ったりしながら花火を見る、という宴会をしていた。こんな感じで、もともと人混みは好きではないので自分からわざわざ足を運ぶほどではないが、誰かに誘われるとまあ行こうかなということで、花火を堪能する機会はこれまで結構あった気がする。

 

しかしながらこのご時世で中止に次ぐ中止。上記の宴会もずっとやられていないまま当人とも疎遠になってしまった。しかしようやく去年からポツポツ、今年はほぼ例年通りに花火大会が開催されているのではなかろうか。今年は予定が入っていたこともあり、花火大会は配信で楽しませていただいた。

 

冷房の効いた部屋で優雅に(笑)、しかも見晴らしの良いところから花火を見ることができて思った以上に満足した。もう今後もこれでいいじゃないか、とまで思えた。

 

そこで思ったのは、これから花火大会は現地に直接赴いて、というスタイルはかなり変わってくるのではないかということ、そしてそれは他の場面にも波及するのではないかということだ。

 

例えば音楽ライブ。やはり現地で生の音を、という声は(特に音楽に熱量を注いでいる人からは)根強い。しかし、遠征で多大な出費が発生するのであれば、配信だったりライブビューイングだったりで済ませる人は一定数いるのではないか、そしてこのご時世を経て、サービスの向上も相俟って、その数は増えるのではないか、と思う。現に私がその一人で、今年も何回か配信でライブを視聴したが、それなりのクオリティで楽しむことができた。アーティストの推しの程度にもよるが、移動の負担を考慮するとこれでも全然良いと思った。

ライブ配信は興行的に赤字だと聞いたことがある。しかしそれでもなんとか収益性を高めて、主流ではなくてもいいので一つのコンテンツとして発展していって欲しいと個人的には思っている。プロのライブとしては利益の点から難しくても、アマチュアであればむしろ参入の障壁は配信によってだいぶ低くなるし、やってみても良いのではと思う。「直接足を運ばないライブ/音楽活動」というのがあっても良いと思うのだ。

 

そして、私が仕事としている教育でも、将来それは当てはまるのではないかと思う。すなわち、「直接足を運ばない学び舎」である。これは音楽ライブと非常によく似た要素を持っていると思う。つまり、直接教室に来て授業を受けた方が良いと。もちろん、学習効果的には映像授業よりも教室での授業が高いであろうことは百も承知である(特に学力上位層以外は)。しかし、それでも色々と実践してみて、知見を蓄積して、直接足を運ばなくても動機付けできるような仕組みを開発すれば、このような学び舎は非現実的ではないと思う。音楽ライブもそうだが、すべてが遠隔的な何かに置換できるわけではないけれど、こういうものができて、発展していっても良いと思うのだ。

 

これはどこかでも書いたことだが、配信などを、このご時世のための代替手段で終わらせてはいけないという考えはずっと変わっていない。しばらく多忙で頭の隅っこにしか置けていなかったけれど、改めてちゃんと考えていきたいと思う。

こういうときだからこそ、ちょっとした決意表明みたいなこと

このご時世、ネガティブなことが続く。それも割と大きな。

寄り添う気持ちは大事だが、自分がそれに呑まれてはいけない。

自分の人生を、今日も明日も、そしてこれらも、紡いでいく。

自分の人生の主人公は自分しかいないのだもの。

そして、同じく呑まれそうになっている人は周りにいるだろう。

だから、前に進む自分を見せよう。

だから、自分が笑顔になって、その笑顔を共有しよう。

現実をよく見ろだの、平和ボケだの言われるかもしれない。

でも、現実に押しつぶされそうになるなら

そんな現実、見なくてもいいのではないか。

むしろ、そんな現実を変えるために、鈍感になって突き進むべきではないか。

本当の、平和をみんなで手にするために。

本当の、笑顔をみんなで共有するために。

【再掲】大学入試化学の基本事項チェックリスト

もうすぐ夏休みなので、需要があるかもしれないので再掲。理論化学は少し加筆した。

 

【大学入試】夏休み明けの基礎定着確認リスト(理論化学編) - ツキアカリテラ

【大学入試】夏休み明けの基礎定着確認リスト(無機化学編) - ツキアカリテラス

【大学入試】夏休み明けの基礎定着確認リスト(有機化学編) - ツキアカリテラス

 

これが「絶対に知識としていつでも使える道具にしなければならないリスト」である。あとは各志望大学のレベルにあった問題演習をこなせば良いだろう。苦手であれば教科書傍用問題集から始めても良い(実際私は京大志望であっても基礎があやふやならここから始めろと指導する)。重要問題集のA問題レベルならほぼこの知識を当てはめるだけで解けるだろう。しかし、もう少しレベルが上がってくるとそうはいかない。最近は共通テストですら読解力が求められるので、どの知識を適用できるかの判断を問題文に書かれていることを手掛かりに行う必要がある。その訓練も怠らずやってほしい。

 

9年目の家電

今週のお題「マイベスト家電」

 

マイベスト家電は何だろうと考えた結果、まさに今、私が手にしているもの以外には考えられない。そう、パソコンである。

 

私が今使っているパソコンはMacBookProである。とは言っても、最近出たものではなく、なんとlate2013のものである。私が使っているパソコンではダントツで長く使っている。以前のMacBookを5年ほど使っていたのだが、Intelが入ったMacということで、これならWindowsも走らせるというので買ったのだ(なんやかんやで書類などはOfficeを使うことが多かったので)。当時はメモリはすごく大事みたいな(今でもか)話があったので、わざわざオーダーメイドでメモリを8GBに積んだのだ。今、巷にあるパソコンはほとんどメモリが8GB、そろそろ16GBくらいは必要かなって状況なので、先を見据えた投資として本当に良かったと思う。ここまで使えるとは思わなかった。それでも当時はMacBook Proはホームユース的なところがあったのか、13万ほどで買えたと思う。

 

それから、実務的なところだけでなく、趣味のバンドにおいても、Keynoteでフライヤー作りなど大活躍した。つい最近だって、映像授業で大きく貢献してくれたし(結局今は映像編集はiPadメインでやっているけれど)、先月は依頼があってGarageBandで編曲とオケの製作をしたばかりである。まだまだ現役。というより、今のMacBookはSDカードを挿せないのが不便で乗り換えられないのだ。レコーダーでSDカードを使うので、SDカードを意外に使う場面があるのだ。リーダーかますのも面倒だし。かといって最近出たProは高すぎるし、、

 

あまり出費もできないので、まだまだしばらくはこいつのお世話になりそうである。これからもよろしく。

入試問題における改題や自作問題の是非について

最近、物理の学び直しで「名問の森」の電磁気分野をやっている。実はやるのは2度めで、最初は解説が自分にはフィットしておらず、うーん、、、といった感想だったのだが、改めてやってみるとやはり名問というのは言い過ぎではなく、良い問題である。改題はされているが、それはそれで頭を使わせるような仕掛けが随所にあり、教育的効果は大きいと思う。模試についても当てはまることだろう。

 

これについては化学についても同じで、多くの難関大受験生がやる「化学の新演習」。これも改題が随所になされており、頭を使うような仕掛けが組み込まれている。

 

ただ、個人的には改題された問題を、とりわけ直前期にやることに関しては少々否定的なのである。改題や模試は確かに思考力を問う要素をドーピングしたものが多く、それ自体が良問であることも少なくない。しかし、それが実際に出題される大学入試の問題の対策に直結するかというと、そうとも限らない気がするのだ。実際の入試問題と、その改題や模試の問題はどこかが違う。まだうまく言語化できていないのだが、今のところは「アカデミックの香りがするか」というのが一番フィットする表現だと思っている。一番典型的なのが、化学で言えば東大だと思う。特に今年の東大の問題はここ数年でも傑作と思われるクオリティだと思う。自分では一生かかってもあんな知的興奮を促し、それでいて基本知識と思考力をバランスよく問う問題は作れない。

 

しかし、入試問題を解くだけ、であればそのような要素は特に必要がない。むしろその目的であれば、思考の枠組みをマスターするための訓練が重視されるので、多くの改題や自作問題はそちらに偏ったものになりがちである。特に夏など、ガリガリ入試問題の得点力を向上する時期であればそれをこなすのも良いだろう。

 

ところが、このような問題はその目的のため、リード文におけるアカデミックの香りは随分と消えてしまう。それに対して、実際の入試問題はアカデミックの香りがプンプンする問題が多い。難関大になると特にその傾向が強まる。我々も経験があると思うが、テイストの違う文章を読むとなるとどうしても時間と体力を余計に消耗してしまう。そのような問題に触れる機会がなければ、問題を読むことだけで一苦労なのだ。だから私は直前期は特に過去問に触れるように勧めるし、それをやり終えた場合は、直近の他大学の過去問を勧める。

 

問題には思想が宿る。その思想に合わせて、その問題をやるべき時期も決まってくる。適切な時期に適切な問題を提示していきたい。

第一志望の大学に入学してから1年間を棒に振った話

4月、入学シーズンということなので、この話を。

 

私は一年浪人して、何とか第一志望の大学に合格をすることができた。噂にこそ聞いていたものの、部活動やらサークルやらの勧誘が半端ない。こういう、押しの強い勧誘をされるのがもともと嫌な人間なので、なるべく避けようと行動していた気がする。

 

それでも、どこかで自分を変えたいという思いはあった。高校に入ってからその第一段階(?)として、バンドを始めた。もちろん、それまで音楽になんて関心がなかったわけだから周りからは驚かれたのだが、なんだかんだで今も楽器を手にする日はあるのだから、やってよかったと思う。

 

当時はインターネットはそこまでありふれたものではなかったし、私自身も携帯電話をまだ持っていなかった。とはいえ、この時期に道端でたくさん配られる情報誌的なものにはキラキラしたキャンパスライフの事例がたくさんあって、そこで大学生になるとはどういうことか、ということを何となく知ることができた。

 

大学に入ったら、アルバイトをやってみようか、やっぱり家庭教師だろうか。1年余分に受験勉強をしてきたし、色々と強みはあるかもしれない。趣味ではまた違った音楽活動をしたいな、そうだ、アカペラサークルなんてどうだろう、みたいなことを考えていた。またずっと高校の軽音で歌うことを拒んできた人間が何を言うか、という話だが、おそらく自分の声がコンプレックスだったので、それを打破したいという思いがあったのだろう。こういうことがきっかけで新しい行動を起こすのは昔も今も変わらない気がする。

 

ところが、物心ついたときから、ずっと共にしてきた内気な性格。これはなかなか打破できなかった。結局、サークルは部活動はあれこれ見学に行ったものの、なかなか入ります、と踏み切れなかった。そして、それ関連で実はちょっとしたいざこざがあって(今思えばいざこざと言えないくらい些細なレベルのものだ笑)、それが引き金になって心が折れたのだと思う。過去から今まで引きずってきた、本当のコンプレックス=内向的な性格、と戦い続けているうちに、無意識に疲弊してしまっていたのかもしれない。それ以来、もう部活動やサークルはいいかな、と思うようになったし、アルバイトも結局何もしないまま、ただ漫然と授業を受けて帰るだけの日々。予備校時代と大して変わりばえのしない日々だった。もちろん時間的余裕は十分にあったから、散歩がてらチャリで遠出は時々したのだけど。

 

結局、部活動もアルバイトも2回生になったタイミングで始めた。あのときは本当に空白の一年だった。今思えば非常に勿体無いことをしたと思う。多くの見知らぬ世界とつながれるまたとないチャンスだったのに。

 

それからも、チャンスを逃して勿体無いなあと後悔したことは何度もあったけれど、だんだんとチャンスを手繰り寄せられるようになってきた。人生経験がある程度豊富になった今、なぜそうなったのかと問われたら、答えはやっぱり踏み込む勇気だと思う。何も反社会的活動みたいな危険なところに足を踏み入れるわけではないのだ。後のことは後で考える、これくらいのスタンスで良いのではないか。

 

春から大学生の人も多いと思う。公序良俗に反しない範囲で、面白そうだなと思ったことは片っ端からやっていただきたいと思う。

2022年度東京大学入試(化学)を解いてみた

ここ数年、すごく洗練された印象を受けていた東大の化学ですが、今年はその完成形を見せられた気がします。テーマも出題意図もよく練られた良問揃いです。これを易しめにしたのが共通テスト化学の目指すものなのかなとも感じました。純粋な難度は昨年よりやや易しめとは言え、記述量も計算の煩雑さも昨年を上回るもので、さらに読解も時間をとられるので、全体的には昨年並みかやや難といったところかと思います。

 

第1問

Ⅰ 油脂の構造決定。分子量の決定が目新しくて面白い。テーマとしては典型的だが、二重結合の位置や炭素数がずれやすく、ミスを犯しやすい。時間がないとは言え、落ち着いて解いていくことが大切。

Ⅱ 模試でありそうな問題。マルコフニコフとザイツェフは東大志望なら知っている人も多いのでさっと読んで解いた受験生も多いのでは。しかし問題文が秀逸。テーマとしてはよくあるものの、丁寧かつ洗練された問題文だと感じた。

 

第2問

二酸化炭素削減に関する問題。東大は環境問題をテーマにしたものが多い。熱化学の問題だが、ゼロベースで進めていっても難なく正解を導ける。というより、そのスタンスの方がやりやすいのかもしれない。計算が煩雑で、情報も込み入っている。おまけに計算過程が求められるので相当に時間を取られる。見た目以上に難しい問題。

Ⅱ プルシアンブルー。たしか東大が放射性物質の除染のためにこの研究をしていた気がする。これも処理能力が求められる。カはイオンの価数を見れば配位数が推察できる、美しい問題だと思った。

 

第3問

Ⅰ 再び二酸化炭素の排出に関する問題だが、問われる能力は全く違う。状態図も東大では頻出。カは定性的に解けたはずなのにゴリゴリ計算してしまった、悔しい。

Ⅱ このご時世なのか、サイトカインと抗体の結合に関する問題。グラフの読み取りが多く必要となるので、苦手な受験生は大変だったと思う。だが、巷で言われているほど難しくは感じなかった。第2問Ⅰのほうがよっぽど厄介。シはよくできた問題。