ツキアカリテラス

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学力が伸びる機会を失わせる2つの方法

何かの縁で私の授業を受けることになった生徒。もちろん、そのまま受験まで面倒を見てあげたいところなのだが、色々な理由で授業を切られてしまうことがある。そして、それは私に限ったことではなく、他の講師でもそうだろうと思う。

 

色々な理由というのは、恥ずかしいことに学力が向上したと感じさせてあげられなかった、そもそも私の授業(あるいは私のパーソナリティ)が生理的に受け付けなかった、といった講師本人の要因もあるし、他教科の成績が低下してそちらの向上に注力したり、これは私教育ならではの理由だと思うが、家が遠方で通うのがしんどい、経済的に厳しい、といった生徒側の要因もある。

 

ただ、いずれにしても言えるのが、一度授業を切った以上はそれを埋め合わせなければ確実に学力は低下するということだ。これは私の授業がそれだけ成績を上げられるという自慢でもなく、他の授業においても同じことである。やはり何事もやらなければ力が衰えるものである。

 

そうして、例えば受験学年になってまた授業に復帰したときに、昔あれだけできていたのになんで?という事象も数多く見てきた。ここから盛り返したとしても、昔のようなできる状態にすら到達できないことが多い。ずっと授業を受けていたらな、、と思ったことが何度もある。単に私の指導力が足りないせいかもしれないので傲慢な意見なのかもしれないが。

 

では、とにかく勉強しよう、できるだけ問題を解いて質的にも量的にも上げていこう、ということが正しいのかといえば、それもまた違うと思うのである。部活の忙しさや高目の学力により、その生徒にとって適切なステップアップの仕方が異なる。それにフィットした形で負荷を多くしていかなければ、途中で潰れてしまうのだ。

 

実際に、最上位のクラスに合格したからそのまま授業をとっていたが、全く自分のレベルからかけ離れていて理解できず、しかし自分の中にあるプライドが邪魔をしたのだろう、そのまま受講して、中途半端に問題を解く力は身についているが、基礎が完全にすっぽ抜けたような生徒も多く見てきた。

 

もちろんこれは自習でも同じで、化学でいえば難関大を目指す受験生がこぞって使うのが「化学の新演習」である。しかし、これを特に最初の受験対策に用いるのはオススメできない。この問題集のウリは「改題によってひねった問題」であり、初見の問題に対応する力を養うためには威力を発揮する。しかし、定石をそこから学ぶのはかなり負担が大きいし、そもそもそういう問題としては適していない。ところが、「問題集何やってる?」と聞いたら、いきなりこれをやっているというものだから、慌ててそれを止めて重要問題集などもっと典型問題の解法を身につけるようアドバイスしたこともある。

 

どうしても人間って背伸びしたがる生き物なのだけど、生き急いで伸びすぎても足元が弱くなってしまう。先輩のアドバイスを参考にそうしたのかもしれないが、あなたと先輩とはいろんな面で違うのである。自分に合った勉強の仕方というのは、偶然他の誰かと同じであることもあるけれど、基本的にはオンリーワンなのだと思っている。

 

ということで、将来受験を迎える人たちには「勉強のウェイトを減らすリスク」「背伸びしすぎた勉強のリスク」をしっかりと考えていただきたい。

私の第二の人生がはてなブログと同い年だった件

先日「好きなJUDY AND MARYの曲10選」を書いておきながら完全にスルーしてしまっていたのだが、はてなブログは10周年だったのか。あれ?はてなブログってもっと老舗じゃね?自分が10年以上前、学生のときにもあったぞ?と思ったら、あれははてなダイアリーだった。そうかそうか。

 

それはそうと、自分も塾屋さんという商売を始めてからちょうど今年で10年なのである。なんと同い年だったのか。なんだか急に親近感が湧いてきた(笑)

 

これも以前書いたことだが、私は博士課程まで進学しておきながら、研究者としての人生を断ち切った人間である。いや、断ち切らざるを得なかったのだけれども。

tsuki-akr.hatenablog.jp

 

そんな人間が自分の第二のステージとして選んだのが、受験に向けて頑張る子どもたちに物事を教える仕事だった。私は研究が好きというよりは、学ぶことであったり、後輩の指導が好きだったことに気づいて、この業界に飛び込んだ。もうアラサーだったので、もうこれ以上逃げ場はないという気持ちだった。

 

それにしてもあっという間だった。よくよく考えたら学生時代と同じだけの期間をこの仕事を通して過ごしたことになる。歳をとると時が経つのが早いと言われるもので、その補正もかかっているんじゃないかと思いつつも、それにしても早すぎるなと。それだけ変化に富み、かつ密度の濃い期間だったのだろう。学生時代何もしなさすぎだろというツッコミもあるのだけど(笑)

 

もちろんこの10年、順風満帆だったわけではない。働き始めから今まで、自分の資質を疑ったことは何度もある。自分は教える仕事に向いていないんじゃないか、とか。でもそのときに最初の時の気持ちをいつも思い出すのだ。自分はもう逃げないと思ってここにきたんじゃないのか、って。そうやって自分を奮い立たせていた。そして何より、それでも慕ってくれる生徒がいて、そして多様な価値観を示してくれる生徒たちがいた。そのおかげでなんとかここまで続けてこられたという感じだ。

 

普段飽きっぽい私がここまで続けられたのは、食い扶持がなくなる恐怖ということもあるのだが、まあそれなりには合っている環境だからなのかなと思う。色々としんどいことはあるし、イラっとすることもあるのだけど(笑)、基本楽しくやっているので。

 

改めて、今の恵まれた環境が当たり前のことではないと感謝しつつ、労働に励みます。

数学を担当していない理系の塾屋さんが数学重要問題集を解いてみて気づいたこと

色々と本業が忙しいのでだいぶん間が空いてしまった。書くネタはあるにはあるのだが、それを文章としてまとめる時間がなかなか取れない。とは言え、よくよく考えたらこれまでのブログも大半は大して構成は考えず思うがままに書いているから、もうバーっと書いてしまえばいいのかなと思ったり。続けることが大事だから、少し意識を変えてみようかな。

 

で、タイトルの件である。私は現在数学を担当教科として教えていない。いや、例えば大学生のチューターくらいの質問受けくらいならできなくはないのだけど(ただし数Ⅲはかなりご無沙汰なので覗く)、大学ではせいぜい一般教養止まりだし、それもちょっとした微積以外はほぼ記憶から抜けているので、素人同然と言っていい。

 

ところが、やはり大学受験生といえば要の科目は英語と数学である。もちろんこれには賛否両論あるだろうし、実際私は否定的である。理系であれば点を稼ぐのは理科だから、理科をいかに仕上げるかが大学に合格する上で重要だと思っている。でも、特に非受験学年にはなかなかそういうことを簡単に納得してもらえないし、理科の対策に十分な時間を割くためには、ある程度英数の基礎を完成させなくてはならないのは間違いない。

 

しかし、そうは言っても高3のこの時期になっても数学で困っている受験生は割といる。それで、数学に苦しんでいる受験生っていったいどこで困っているのか、そういう受験生の気持ちになることが今後進路指導をする上で必要なのでは、と思ったのだ。

 

問題を持ってこられたときにここはこう解く、といった話はできるかもしれない。しかし、理系でありながら数学について明確なアドバイスを自信を持ってできない自分がいる。これをなんとかしたいと思ったのだ。

 

そういうわけで、大学入試で数学の問題を解くときに、どういう点に注意すればいいのか、どういう感覚を身につければいいのかを再認識するために、数学の勉強を始めようと思ったのだ。そこで、どのような問題集をやっていけばいいのかを色々調べてみたのだが、手広く標準〜応用を身につけられるということ、そして割と最新の傾向も踏まえていることが決め手となり、定番の「数学重要問題集」を解いていこうと思ったのが先月のことである。

 

先に述べた通り、本業が繁忙期ということもあり、なかなか進められていないが、とりあえず整数までは進めることができた。ただ、そこでもある程度気づきがあった、それもおそらくこういった数学の勉強をする上で一番大きな気づきだと思われるので、それを備忘録として示しておく。

 

現状の気づきは以下の2点である。

・数学にセンスはさほど要らない

・数学の問題を解くための発想の一部は分野横断的である

 

1つ目について。数学はセンスが必要だと時々言われる。個人により解釈は様々だが、私がセンスと呼ぶものは「数学が得意である人にしか絶対気付けなさそうな着想」「数学の問題をたくさん経験していることがモノを言う着想」である。ただ、これはあまり必要ないな、と感じる。まだほぼ代数しかやっていないので、また変わるかもしれないけれど、これは多分揺るがないだろうと思う。

 

実際、変形した式などをみていると、論理的に考えて、おそらくこういう変形をすればうまくいくだろうというのが見えてきて(こういうところ、本当に問題がよくできていると感じる)、実際そうすると突破口が開ける、ということを問題を解いていて何度も経験した。やはり数学は論理的思考力がモノを言う教科だと思うのだ。

 

しかし、その「うまくいくだろう」というのが、例えば「この漸化式はこう変形する」と言った、分野や単元に依存した定石でないことが非常に多い。それどころか、そういう考えがいろんな問題で出てくると感じたのだ。これが2つ目の気づきである。

 

例えば、整数解を出す問題でax+by=xyみたいな形がでてきたら(x-○)(y-△)=□にするとうまくいくみたいなものである。整数解を求める問題だからこう変形する、というよりは、「こうなったら嬉しい(解きやすくなる)」というのがあって、そこに気づくといったようなものだ(この辺はうまく言語化できていないのがもどかしい、、、)。対称式を見たらこうしよう、みたいなものだろうか。うーん、分野や単元に依存しない、というともしかしたら語弊があるのかもしれない。こういうのって化学で言えば周期律みたいなものだろうから。

 

数学にセンスはいらないというのはもともとそうだと思っていたのだけれども、2つ目の気づきは割と想定外だった。問題を解くときは無意識のうちにそうしていたのかもしれないが、まだ言語化できていないとはいえども「こうなったら嬉しい」という感覚を掴むことが大事だということはもっと突き詰めればうまく学力向上の助言に寄与できるのではないか。

 

もっと解くと新たな気づきが得られるのかもしれないが、それはまた。

 

一番印象深かった推薦入試合格者

仕事柄、推薦入試を受ける生徒を担当することがしばしばある。前にも書いた通り、推薦入試ではまず志望理由書を仕上げることが最初の関門になるのだけど、これが案外できない。

 

志望理由とあわせて必要になるのが、いわゆる「自己PR」である。自分が高校時代に何に力を入れたか、ということをアピールするのである。学業面であれば、数学オリンピックに出た、SSHで研究をした、大学の何とかプログラムみたいなもので共同研究的なものをした、などであろうし、それ以外でいえば生徒会長を務めた、体育祭や文化祭の委員長を務めた、クラブの部長を務めた、などであろう。大抵は似たようなエピソードになるのだが、その中で自分の価値観を示すことのできるユニークな要素を盛り込むというのが、似たり寄ったりの志望理由書で差別化を狙うための常套手段であろう。

 

しかし、私が以前担当した生徒は、そういった経験がほぼ皆無であった。上記のような、学業面で優秀な成果を残したというわけでもなく、部活動もやっていなかったという。推薦入試を志す生徒では初めてのことだったので、私もどうしたものかと考えた。

 

こういうときはとにかく対話である。対話の中で、本人ですら気づかなかった新たな強みや価値観を掘り起こせることは珍しくない。しかしながら、その生徒が志望大学に行きたいという情熱は他の生徒よりも強いものを感じたが、肝心の自己PRのネタが全く特筆すべきものがない状況だった。

 

ここまで書くと何の取り柄もないような生徒に思われるかもしれないが、決してそうではない。先に述べた通り、志望動機はリサーチもしっかりしていて強いものを感じた。「なんとなく○○学部」なんていう生徒もたくさんいる中で、これは光り輝くものがあると思う。それに、対話をしていると、度胸もあるし気さくだし、何より、一生懸命自分の言葉で伝えるという気持ちが強いのだ。これも用意した原稿をただ思い出しながら声に出すのとは雲泥の差である。それゆえ、身振り手振りがオーバーすぎたり、敬語が欠落したりすることはしばしばあったのだが(笑)D・カーネギーも「話し方入門」で熱意の大切さを説いていたが、まさにそれを具現化したような生徒だった。

 

結局自己PRのネタとしてひねりだしたのが、授業での発表における内容だった。正直、どんな生徒でも経験として持っているであろうネタだった。確かにインパクトには欠けるが、なるべくオンリーワンになるような構成を一緒に考え尽くしたし、面接練習も1〜2時間を3セットはやった。やるべきことはやった。あとはそれを補って余りあるこの生徒の熱意に託そうと思った。

 

それで、もちろんこういう記事を書いているから御察しの通り、この生徒は見事合格を果たしたのだった。私は推薦入試は「一芸」に秀でた人間を選考するものだと思っていた。もちろんそういう傾向は今でもあるのだろうが、この事例はそういう私の考えを根底からひっくり返すものだったし、これ以降の指導にも多大な影響を与える経験となった。真面目であれば、熱意があれば、他人にはない経験がなくても、大学は評価してくれ、迎え入れてくれるのだ。もう「キミには秀でた実績がないから推薦は避けた方がいい」なんて言えないだろう。

 

推薦入試があればペーパーテストはいらない?

近年、「推薦入試」や「AO入試」、いや、この表現も古いだろう、「学校推薦型選抜」「総合型選抜」の重要性が高まっている。国立大学では定員の3割を目指すとされているくらいだから、この流れは当然といえば当然だろう。

 

このような入試では、従来の大学入試のように、ペーパーテストは課されないことが多い、もちろん、共通テストの結果が必要とされるように、基礎学力は重視されるのは変わらないのだけど、面接やら小論文やらグループディスカッションやらその他諸々の試験が課され、これまでのペーパーテストで必要とされるものとはまた違った力が問われる。

 

さらには志望理由書が課されることが大半だ。志望理由書も単に熱い想いを書けばいいという安易なものではなく、大抵の場合は「他に同じような学部があるのになぜうちの大学なのか」「大学に入学してからどういう勉強をしたいか」「大学を出てからどういった形で社会に貢献していきたいか」ということにも言及する、言い換えれば、将来の学習設計を立案した上で、それを文章の形でまとめなければならない。

 

そして、面接や志望理由書においては頻出のお題がある。その一つに「中学、高校で頑張ったこと」がある。就活でいうところの「ガクチカ(学生時代力を入れてきたこと)」だ。実際、私も何人か志望理由書を添削した経験があるけれど、本当にユニークな経験をしているなあと感心させられる。例えば、スーパーサイエンスハイスクールだと、課題研究のことを述べることが多いのだけど、研究環境に恵まれているなあとうらやましく思う。ある意味、このような学校の生徒としての特権であり、他の学校での実験授業ではなかなか真似できない。また、中学の頃から部長であったり生徒会長であったり、リーダーシップを発揮しているというエピソードもお決まりである。やはり日本の将来を牽引するからにはこのような力は大切だと思う。

 

となると、この大学に入りたい、となったときに、高校生活、中学生活、さらには小学校での生活において、将来を見据えて力を入れる必要がある。自分が大人になったときにあるべき姿を早期から描き、その縛りに従って生きていくような形だ。昔あったeポートフォリオなんかはその傾向をさらに強めるものだったのではないかと思う。アメリカでも、大学入試に向けて課外活動を積極的にやっていて、昔あった受験戦争とは違った形の戦争が起こっているらしい。

 

大学に入ると、主体的に学ぶ姿勢が本当に大切になってくる。だからこういった傾向は当然だろうし、個人的にも肯定的な立場である。単純なお勉強ができなくても、この大学に入る資質があって、本人も高い熱量を持っているのであれば、是非受け入れてほしいと思っている。

 

しかし、このような形の選抜を拡充「しすぎる」のは良くないと思う。個人的にはペーパーテストだけの入試というのは絶対に無くして欲しくない。当座の自分の食い扶持が無くなるというという理由もあるが(笑)もちろんそれだけではない。「ペーパーテストをパスするだけの学力がなくても、素質と動機がある高校生」を受け入れることも大切なのだが、逆に「なんの取り柄もないけれど、ペーパーテストをパスするだけの学力(=学んだ力)はある高校生」を受け入れることもまた大切なことではないかと思うのだ。

 

そもそも、「この大学に入りたい」と思ったのは皆さんいつごろだろうか。大抵の場合は高校に入ってからではないかと思うし、それこそ高校生活のふとしたきっかけで「この大学に行きたい!」となる高校生も少なからずいると思う。私の場合、高校の頃は数学が大好きで、もともと理学部で数学を専攻したいと思っていた。しかし、高2の修学旅行で北海道に行ったのをきっかけに、自然っていいな、でもあまりこれまで生物と戯れる経験を比較的してこなかったので、大学でそういった勉強をしてみよう!と、志望を農学部に変更した。人生の分岐なんて些細なことで起こるものだ。

 

また、課外活動含め、積極的にいろんなことに打ち込んできた人は確かにそうでない人よりも評価は高いかもしれない。けれども、今は消極的であるけれど、自分を変えるきっかけや自分の打ち込みたいことを、大学に見つけたという高校生はたくさんいると思うのだ。そういう人たちにも手を差し伸べるような大学入試であるべきではないかと思う。この大学に行きたいと思ったけれど、その大学に合格するに値する人生経験を積んでこなかったから詰んだ、というのはあまりにも酷である。

 

リスタート、リトライをしたい場面は人生においていくらでもあると思う。そういうことに対して優しい入試であってほしいと思う。

好きなJUDY AND MARYの曲10選

はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選

 

ここで色々と好きな曲を紹介してきたのだが、やはり自分が若い時に聴いていた曲に戻る、いわばルーツになる曲というのがある。最近あらためて認識したのが、自分にとってそれはJUDY AND MARYだということだ。本格的に聴き始めたのはPOP LIFEが出た後だから、ほぼ解散間近だったとき。結局リアルタイムで生演奏を聴く機会もなかったのだが(当時高校生だったしさすがに遠征は簡単にできなかった、、、)、それでも自分の音楽の根幹をなす要素の1つであることは間違いない。

 

今回は好きな◯◯10選というお題をいただいたので、「好きなJUDY AND MARYの曲10選」をやってみたい。実はジュディマリでこういうのをやるのはほぼ初めてである。どうなることやら。数字が大きくなるごとに好きな順としておこう。

 

1.ステレオ全開

ジュディマリサウンドといえば、何と言ってもTAKUYAのキレッキレのカッティングだと思っていて、その代表的なものがOver Driveのイントロだと思う。しかし、カッティングを満喫するのであればこの曲だと思う。特有の癖のあるアルペジオも健在だ。これで当時のジュディマリのフォロワーのギタリストはみんな光線銃を持っていた気がする笑

 

2.カメレオンルミィ

ジュディマリは最初は恩田色が濃かったのだが、だんだんとTAKUYA色が濃くなり、その音楽性も(根幹は揺らいでいないと思っているのだが)カッコよさのベクトルが激変した。その集大成であり、ジュディマリの完全体を具現したものが最後のアルバム「WARP」だと思う。さらにその中でも最もそれに近いのが、このアルバムの4曲目に入っている本曲だと思う。後期のジュディマリの良さが、すべてこの1曲に凝縮されている感がある。

 

3.KYOTO

良い音楽というのは、歌詞とメロディがマッチしていて、なおかつ聴いていただけでその情景がありありと思い浮かぶようなものだと思う。ジュディマリの曲においてもそういうものはたくさんあるが、特に秀逸なのはこのKYOTOである。この曲を聴きながら目を閉じると、春の夢だけではなく、祇園産寧坂の様子も見えてくること間違いなしだ。

 

4.Can You Celebrate?

え?なんで??と思った方もいるかもしれないが、当時KinKi Kidsがやっていた「LOVE LOVE あいしてる」という音楽番組があり、そこにジュディマリがゲストとして呼ばれたときに演奏した曲である。入りのギターがもうすごい。このときのTAKUYAのプレイは、後半のソロも合わせて、個人的には5本の指に入るほどの傑作だと思う。

 

5.ナチュラルビュウティ'98

これだけジュディマリが好きなもんだから、当然バンドでコピーもさせていただいたことがある。当時やっていたバンドで代名詞的な曲としてやっていたのがこの曲である。ガッツリ沼にハマる前だったので、この曲はバンドで演奏することになるまで知らなかった。3コードのロックンロール的雰囲気かと思いきや、サビはいつものジュディマリである。

そういえば、TAKUYAはラブライブ!サンシャイン!のCYaRon!に楽曲をいくつか提供して、その中の「ある日…永遠みたいに!」という曲があって、個人的には今年最高の楽曲だと思っているのだが、この曲はかなりジュディマリの「クラシック」を令和に甦らせた感じの曲なのだが、間奏はまさにこのナチュラルビュウティ'98である。

 

6.小さな頃から

ジュディマリを演奏しようかな、でもどれも難しいよなってなったときに大体の人が最初にコピーのオススメとして挙げる曲である。ちなみに私は全パート(ギター、ベース、ドラム、鍵盤)演奏した経験がある笑

いや、でもシンプルにいい曲なのですよ。で、この曲は是非WARPツアーファイナルの演奏を是非聴いてほしい。最後のギターソロが解散を惜しむかのようなスクリームっぽく聴こえてすごく良いのである。

 

7.Miracle Night Diving

TAKUYAが尖り出したあたり(笑)の曲。いやあでも、割と初期にこんなハイクオリティな曲作られたらそらもう、、ってなるよな。自分ならもう作曲やめると思う笑

なんやかんやで演奏する機会は割とあって、ギターのフレーズも、ベースのフレーズも、ドラムのどっしり感も、ボーカルの雰囲気も、全部好き。

 

8.自転車

ジュディマリを知り始めたときに一番好きだった曲。そして今もずっと好きな曲。やはり思い出補正ってすごいよね笑

当時私は高校生で、同級生がちゃんと自転車のベルを持ってパフォーマンスをしていた。とにかくもう爽快なんですよ。サウンドYUKIの朗らかな声も。夏の晴れた空にチャリで疾走しながら聴きたい曲ナンバーワン。

 

9.ドキドキ

ナチュラルビュウティをやっていたときとは違うバンドで代名詞的だった曲。やはり思い出補正って(以下略)でも、この曲、バンドスコアで難しいって書いてたけど、本当に難しかった、、フレーズがじゃなくて、微妙なBPMだから、すぐリズムがハシってしまう。それゆえに、アンサンブルも困難を極める曲。ちょっとマシにできたかな?って思えるまでにこのバンドで2年はかかっている。

中期ジュディマリ(そういうものがあるのか、、?)を象徴する曲であり、ある意味で最もジュディマリらしい曲ではないかと個人的には思う。

 

10.おめでとう

これが私の中では不動の1位なのだけど、なぜ?って言われても理由がわからないのだ。そんなに演奏をしたこともないし、なんならこの曲の存在を知ったのも割と後の方である。ベストアルバムに入ってるってことはそれなりの支持を得ているってことなんだろうけど、、でも理屈抜きでこの曲は好きなんだ。聴いてて心が浄化される。

 

ということで、演奏する側としての感想がメインになってしまったのだが、もちろん歌詞も含めての評価である。これ以外にもいい曲はたくさんあるので、是非みなさん沼にはまってほしいと思う笑

10月の憂鬱を乗り越えろ

気圧の変動が激しすぎてここ数日、頭痛が頻発していて悩まされている。

 

季節の変わり目はやはりメンタルにも影響が大きく、「季節性うつ病」なるものもあるほど。よくよく考えれば、10月はいつも気分のコントロールに悩まされているような気がする。世間はもうすぐでハロウィンだとお祭りモードなのに、私の気分はずっと曇り空のようである。おまけに数日前から急激に寒くなったので、その影響もあるのかもしれない。

 

昔はこんなふうじゃなかったのだが、年を経るごとに気候の変化に対する耐性が弱まっている気がする。その中でどう対処していくかというのは大事なテーマである。ましてや私のように、教壇に立つ人間、ある意味で演者である人間として、パフォーマンスの劣化は許されないことである。いかに普段通りのパフォーマンスを発揮するかが大事なのである。気圧の低下ではあっさりしたものがよいということを最近知った。そういえばお構いなしに油物とかチョコレート(大好物)とか食べていた笑

 

おそらく、受験を控える人間にとっても他人事ではないのかもしれない。10月〜11月というのは秋の模試ラッシュの時期であり、ここで出願先をおおむね決定する人が大半だろうと思う。推薦入試を控えている人であればもっと大事な時期である。しかし、この厳しい気候の変化の中で思うように動けない人も少なからずいるかもしれない。

 

解消法は人それぞれであるが、最近では気圧の変化を知らせてくれるアプリもあるし(私は「頭痛ーる」を愛用している)、SNSでこのようなときに体調不良になったときに何が効果的なのかを発信してくれる人たちもたくさんいる。私はこの方のtwitterをたまにのぞいて参考にしている。

twitter.com

 

昔に比べれば救いの手はかなり見つけやすくなっていると思う。ここが踏ん張りどころという人もたくさんいるだろう、何とか乗り越えていきたいところである。